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「陸軍士官学校卒業生一覧 (日本)」の版間の差分

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* 中佐:⑥[[満井佐吉]]・[[申泰英]] (平山輔英)
* 中佐:⑥[[満井佐吉]]・[[申泰英]] (平山輔英)
* 少佐:[[李大永 (軍人)|李大永]](海東孝朋・韓国軍准将)
* 少佐:[[李大永 (軍人)|李大永]](海東孝朋・韓国軍准将)
* 大尉:[[内山雄二郎]]・[[金シュン元|金埈元]](韓国軍准将)
* 大尉:[[内山雄二郎]]・[[金埈元]](韓国軍准将)
* 満州国軍中佐:[[朴勝薫]](韓国軍少将)
* 満州国軍中佐:[[朴勝薫]](韓国軍少将)
* 中尉:[[木原円次]]・[[池青天|池大亨]]<!--池錫奎-->([[韓国光復軍]]総司令官)
* 中尉:[[木原円次]]・[[池青天|池大亨]]<!--池錫奎-->([[韓国光復軍]]総司令官)

2020年8月13日 (木) 02:46時点における版

陸軍士官学校卒業生一覧 (日本)(りくぐんしかんがっこうそつぎょうせいいちらん(にほん))は、陸軍士官学校 (日本)の卒業生・修了生の一覧である。なお、原則としてWikipediaに記事が存在する人物を掲載する。陸軍航空士官学校関係者については同項目を参照。

卒業生等

陸軍兵学寮

  • 明治3年12月入学、明治5年6月卒業、明治6年5月任少尉
  • 明治6年12月入学、明治7年10月少尉試補、明治8年1月任少尉
  • 明治7年2月入学、明治7年10月少尉試補、明治8年1月任少尉
  • 明治7年3月入学、明治9年少尉試補、明治8年3月任工兵少尉
  • 明治7年10月入学、明治9年3月少尉試補、明治10年5月任少尉

士官生徒

※士官生徒は少尉任官は一律に行われるが、卒業は兵科毎に差がある。

旧1期

(明治8年1月28日 - 2月入校、1877年7月18日 - 12月22日任官、117名。西南戦争にて戦没者34名)

旧2期

(明治8年12月入校、明治12年2月1日任官、136名)

旧3期

西南戦争中の1877年5月入校、明治12年(1879年)12月22日任官、96名)

旧4期

(明治12年1月入校、明治14年(1881年)12月24日任官、58名)

旧5期

(明治13年2月入校、明治15年(1882年)12月25日任官、60名)

旧6期

(明治14年1月入校、明治16年(1883年)12月25日任官、59名)

旧7期

(明治15年8月入校、明治18年(1885年)6月18日任官、61名)

旧8期

(明治16年9月入校、明治19年(1886年)6月25日任官、144名)

旧9期

(明治17年9月入校、明治20年(1887年)7月21日任官、189名)

旧10期

(明治18年9月入校、明治21年(1888年)7月28日任官、158名)

旧11期

(明治19年8月入校、明治22年(1889年)7月26日任官、207名)

士官候補生以降

1期

(明治23年(1890年)7月26日卒業、明治24年(1891年)3月26日任官、147名)

2期

(明治24年(1891年)7月30日卒業、明治25年(1892年)3月21日任官、148名)

3期

(明治25年(1892年)7月23日卒業、明治26年(1893年)3月13日任官、137名)

4期

(明治26年(1893年)7月25日卒業、明治27年(1894年)3月7日任官、188名)

5期

(明治27年(1894年)7月27日卒業、明治27年(1894年)9月18日任官、213名)

6期

(明治28年(1895年)1月1日卒業、明治28年(1895年)5月22日任官、216名)

7期

(明治29年(1896年)5月27日卒業、明治30年(1897年)1月25日任官、270名)

8期

(明治29年(1896年)11月26日卒業、明治30年(1897年)6月28日任官、292名)

9期

(明治30年(1897年)11月29日卒業、明治31年(1898年)6月27日任官、650名)

10期

(明治31年(1898年)11月25日卒業、明治32年(1899年)6月27日任官、649名)

11期

(明治32年(1899年)11月21日卒業、明治33年(1900年)6月22日任官、670名)

12期

(明治33年(1900年)11月21日卒業、明治34年(1901年)6月25日任官、655名)

元帥陸軍大将を輩出した最後期

13期

(明治34年(1901年)11月22日卒業、明治35年(1902年)6月23日任官、722名)

14期

(明治35年(1902年)11月22日卒業、明治36年(1903年)6月26日任官、702名)

15期

(明治36年(1903年)11月30日卒業、明治37年(1904年)2月12日任官、708名)

16期

(明治37年(1904年)10月24日卒業、明治37年(1904年)11月1日任官、549名)

17期

(明治37年(1904年)入校、明治38年(1905年)3月30日卒業、明治38年(1905年)4月21日任官、363名)

18期

(明治38年(1905年)11月25日卒業、明治39年(1906年)6月26日任官、920名)

19期

(明治40年(1907年)5月31日卒業、明治40年(1907年)12月26日任官、1068名)

20期

(明治41年(1908年)5月27日卒業、明治41年(1908年)12月25日任官、276名)

21期

(明治40年(1907年)入校、明治42年(1909年)5月27日卒業、明治42年(1909年)12月25日任官、418名)

22期

(明治41年(1908年)入校、明治43年(1910年)5月28日卒業、明治43年12月26日任官、721名)

23期

(明治42年(1909年)入校、明治44年(1911年)5月27日卒業、明治44年(1911年)12月26日任官、740名)

24期

(明治45年(1912年)5月28日卒業、大正元年(1912年)12月24日任官、734名)

25期

(大正2年(1913年)5月26日卒業、大正2年(1913年)12月25日任官、741名)

26期

(大正3年(1914年)5月28日卒業、大正3年(1914年)12月25日任官、742名)

陸軍大将を輩出した最後期

27期

(大正4年(1915年)5月25日卒業、大正4年(1915年)12月25日任官、761名)

28期

(大正5年(1916年)5月26日卒業、大正5年(1916年)12月26日任官、651名)

29期

(大正6年(1917年)5月25日卒業、大正6年(1917年)12月25日任官、536名)

30期

(大正7年(1918年)5月27日卒業、大正7年(1918年)12月25日任官、632名)

31期

(大正8年(1919年)5月28日卒業、大正8年(1919年)12月25日任官、489名)

32期

(大正9年(1920年)5月26日卒業、大正9年(1920年)12月26日任官、429名)

33期

(大正10年(1921年)7月27日卒業、大正10年(1921年)10月16日任官、437名)

34期

(大正11年(1922年)7月28日卒業、大正11年(1922年)10月25日任官、345名)

35期

(大正12年(1923年)7月21日卒業、大正12年(1923年)10月25日任官、315名)

36期

(大正13年(1924年)7月18日卒業、大正13年(1924年)10月25日任官、330名)

実役停年通りに昇進する閑院宮春仁王が昭和20年6月に陸軍少将に昇進するが、その他の者で少将まで昇進した者は戦死による特進の場合のみ。

陸軍士官学校本科以降

37期

(大正14年(1925年)7月25日卒業、大正14年(1925年)10月26日任官、302名)

38期

(大正15年(1926年)7月16日卒業、大正15年(1926年)10月25日任官、340名)

39期

(昭和2年(1927年)7月19日卒業、昭和2年(1927年)10月25日任官292名)

40期

(昭和3年(1928年)7月17日卒業、昭和3年(1928年)10月26日任官、225名)

41期

(昭和4年(1929年)7月17日卒業、昭和4年(1929年)10月25日任官、239名)

42期

(昭和5年(1930年)7月19日卒業、昭和5年(1930年)10月25日任官、218名)

43期

(昭和6年(1931年)7月22日卒業、昭和6年(1931年)10月26日任官、227名)

44期

(昭和7年(1932年)7月11日卒業、昭和7年(1932年)10月25日任官、315名)

45期

(昭和8年(1933年)7月11日卒業、昭和8年(1933年)10月20日任官、337名)

46期

(昭和9年(1934年)6月卒業、338名)

47期

(昭和8年(1933年)4月入校、昭和10年(1935年)6月卒業、330名)

48期

(昭和11年(1936年)6月卒業、388名)卒業の年に2.26事件があった。

49期

(昭和12年(1937年)6月卒業、471名。終戦までの戦没者は殉職含め165名)

50期

(陸士1937年12月卒業426名。戦死者129名、戦病死18名、殉職4名、終戦時自決1名)

51期

(1938年12月卒業461名。戦没者188名、自決4名)

52期

(1939年9月卒業508名。戦死167名、戦病死18名、殉職29名、自決4名、法務死2名)

53期

(1940年2月卒業1365名。戦死者651名)

54期

(1940年9月卒業1798名。戦没者762名、戦病死92名、法務死4名、殉職76名、終戦時自決2名)

55期

(1941年7月卒業1755名。戦没者962名)

56期

(1942年12月卒業1672名。戦没者1003名)

57期

(1944年(昭和19年)4月卒業1268名。戦没者七百数十名)

58期

(1945年(昭和20年)6月卒業1146名)

終戦直前任官した陸軍最後の少尉であり、戦後占領軍により昭和26年春まで公職から追放された。

59期

(終戦後に特別に卒業資格を付与、一般大学の受験資格を得た。陸士1250名)

昭和18年4月1日に陸軍予科士官学校入校、昭和19年10月13日に予科士官学校卒業、同日に士官候補生を命ぜられ、昭和19年10月14日に士官学校入校、同日に兵長の階級を与えられ、昭和20年1月15日に伍長の階級に進み、昭和20年3月15日に軍曹の階級に進むが、在校中に終戦を迎えた。1961年に59・60期の同窓会「国史会」一部の者がクーデターを企画して破防法適用事件第1号となった(三無事件参照)。

60期

(陸士1824名) 昭和19年2月21日幼年学校出身者は予科士官学校へ仮入校。

本科生徒たる兵長で士官学校閉校。

61期

関連書籍

  • 『市ヶ谷台に学んだ人々』桑原獄 著、文京出版、2000年9月。ISBN 4-938893-11-8