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2020年8月13日 (木) 02:46時点における版
陸軍士官学校卒業生一覧 (日本)(りくぐんしかんがっこうそつぎょうせいいちらん(にほん))は、陸軍士官学校 (日本)の卒業生・修了生の一覧である。なお、原則としてWikipediaに記事が存在する人物を掲載する。陸軍航空士官学校関係者については同項目を参照。
卒業生等
陸軍兵学寮
- 明治3年12月入学、明治5年6月卒業、明治6年5月任少尉
- 明治6年12月入学、明治7年10月少尉試補、明治8年1月任少尉
- 大尉:磯林真三(殉職)
- 明治7年2月入学、明治7年10月少尉試補、明治8年1月任少尉
- 大将:中村覚
- 明治7年3月入学、明治9年少尉試補、明治8年3月任工兵少尉
- 大将:鮫島重雄
- 明治7年10月入学、明治9年3月少尉試補、明治10年5月任少尉
士官生徒
※士官生徒は少尉任官は一律に行われるが、卒業は兵科毎に差がある。
旧1期
(明治8年1月28日 - 2月入校、1877年7月18日 - 12月22日任官、117名。西南戦争にて戦没者34名)
- 皇族:元帥陸軍大将伏見宮貞愛親王
- 中将:木越安綱・石本新六・山根武亮・小泉正保・南部辰丙・中田時懋・牟田敬九郎・依田広太郎・隈元政次
- 少将:伊崎良煕・石田保謙・太田栄次郎・河井瓢・栗田幹・小島好問・多田保房・林錬作・福原信蔵・伊地知季清
- 大尉:鈴木知康・酒匂景信
- 少尉:児島滋胤
旧2期
(明治8年12月入校、明治12年2月1日任官、136名)
- 大将:大迫尚道・井口省吾・大谷喜久蔵(教育総監)
- 中将:石井隼太・伊地知幸介・仙波太郎・田村怡与造・豊島陽蔵・長岡外史・村木雅美・松本鼎・村田惇・渋谷在明・山田忠三郎・税所篤文・押上森蔵・蔵田虎助・宮本照明・平井正衛・兵頭雅誉
- 少将:加藤泰久・栗山勝三・鷹司煕通・田内三吉・中村無一・原義成・深谷又三郎・本庄道三
- 少佐:榊原宰之助・山田一男・渡辺述(戦病死)
旧3期
(西南戦争中の1877年5月入校、明治12年(1879年)12月22日任官、96名)
- 元帥:上原勇作(陸相、教育総監、参謀総長)
- 大将:内山小二郎・秋山好古(教育総監)・柴五郎・本郷房太郎
- 中将:石橋健蔵・楠瀬幸彦(陸相)・藤井茂太・青木宣純・落合豊三郎・大久保徳明・榊原昇造・川村宗五郎
- 少将:太田正徳・北川武・佐藤忠義・鶴見数馬・東郷八郎左衛門・馬淵正文・八木下純・山口圭蔵・渡辺忠三郎
- 大佐:関谷銘二郎(戦死) 東常久
- 中佐:塚本芳郎(戦死)
- 少佐:林秀芳・森雅守
- 大尉:神藤才一・酒井次郎
- 中尉:青山忠誠
旧4期
(明治12年1月入校、明治14年(1881年)12月24日任官、58名)
- 中将:飯田英三・大沢界雄・岡市之助(陸相)・大島健一・萩野末吉・林太一郎・山口勝・斎藤力三郎・森川武
- 少将:井口五郎・石川潔太・今沢義雄・奥村元佶・加藤政義・佐野勝二郎・横田宗太郎
- 大佐:清水金生・吉田貞(戦死)
- 少佐:木村伊助(戦死)・根津一
- 大尉:永見松太郎
旧5期
(明治13年2月入校、明治15年(1882年)12月25日任官、60名)
- 大将:松川敏胤・由比光衛
- 中将:阿部貞次郎・小原伝・久能司・豊辺新作・中村愛三・星野金吾・本多道純
- 少将:江藤鋪・黒沢源三郎・児島八二郎・恒吉忠道・吉岡竹次郎・日匹信亮(主計監)
- 大佐:鵜沢総司(戦死)・江木精夫・小沢季治・下山筆八
- 中佐:深堀順蔵(戦病死)
- 大尉:荒尾精
旧6期
(明治14年1月入校、明治16年(1883年)12月25日任官、59名)
- 皇族:元帥陸軍大将閑院宮載仁親王(参謀総長)
- 大将:仁田原重行・明石元二郎・大井成元・立花小一郎
- 中将:足立愛蔵・蠣崎富三郎・重見熊雄・野口坤之・林太郎・松石安治・飯田左門・安藤厳水・牧野淸人
- 少将:相浦多三郎・河野政二郎・杉浦藤三郎・橋口勇馬・橋本三郎・山本延身・依田昌兮
- 中佐:須知源次郎(戦死)・花田仲之助
旧7期
(明治15年8月入校、明治18年(1885年)6月18日任官、61名)
旧8期
(明治16年9月入校、明治19年(1886年)6月25日任官、144名)
- 大将:大庭二郎(教育総監)・河合操(参謀総長)・田中義一(陸相)・山梨半造(陸相)
- 中将:浅川敏靖・有田恕・鋳方徳蔵・井野口春清・小池安之・近野鳩三・栗田直八郎・佐藤鋼次郎・高橋義章・武田三郎・永沼秀文・成田正峰・野島忠孝・橋本勝太郎・藤井幸槌・宮田太郎・山田良水
- 少将:伊豆凡夫・公平忠吉・野中勝明・守田利遠
- 大佐:藤室松次郎
- 中佐:鯉登行文(戦死)
旧9期
(明治17年9月入校、明治20年(1887年)7月21日任官、189名)
- 大将:福田雅太郎・町田経宇・田中弘太郎
- 中将:浄法寺五郎・白井二郎・武内徹・筑紫熊七・古海厳潮・伊藤瀬平・白水淡・若見虎治・木下宇三郎・福原銭太郎
- 少将:伊部直光・今屋友次郎・草生政恒・佐藤祐次
- 大佐:小山秋作・岩倉久米雄・清水三男・吉岡友愛(戦死特進)
- 中佐:橘周太(戦死)・那須仙太郎(戦死)
- 少佐:清水盛次・鷹森赳夫・山名義路
- 中尉:青木織之助(戦死)
旧10期
(明治18年9月入校、明治21年(1888年)7月28日任官、158名)
- 大将:尾野実信
- 中将:高島友武・田村沖之甫・松井庫之助・山田隆一・渡辺岩之助・吉田平太郎・与倉喜平・金久保万吉・渡辺満太郎・松浦善助・松浦寬威・河内信彦・権藤伝次・布施慶助
- 少将:加瀬倭武・名和長憲・吉野文四郎
- 大佐:高倉永則・柳生俊久
- 少佐:太秦供康・平岡八郎(戦死)
- 大尉:樋口誠康
旧11期
(明治19年8月入校、明治22年(1889年)7月26日任官、207名)
- 大将:菊池慎之助(教育総監)・奈良武次
- 中将:西川虎次郎・高山公通・河村正彦・久松定謨・斎藤季治郎・横山彦六・大村信行・岡沢慶三郎・新免行太郎・川人潔太郎
- 少将:土井市之進・長尾駿郎・樋口喜吉
- 大佐:坂田虎之助・片倉小太郎・日野強
- 中佐:清水谷実英・下林保武・高嶋嘉蔵・晴気市三
- 少佐:石光真清
- 大尉:時沢右一
士官候補生以降
1期
(明治23年(1890年)7月26日卒業、明治24年(1891年)3月26日任官、147名)
- 大将:鈴木荘六(参謀総長)・白川義則(陸相)・宇垣一成(陸相)
- 中将:石坂善次郎・石光真臣・市川堅太郎・井戸川辰三・内野辰次郎・大多和新輔・児島惣次郎・志岐守治・中島正武・長野準四郎・両角三郎・山田陸槌
- 少将:岩崎初太郎・岩谷龍太郎・岡本茂若・神戸次郎・隈部親信・佐藤房隆・鈴木朝資・中山民三郎・永山元彦・森邦武・渡辺兼二
- 中佐:大越兼吉
- 少佐:長谷川戍吉
- 清国留学生:張紹曾・蒋雁行・唐在礼
2期
(明治24年(1891年)7月30日卒業、明治25年(1892年)3月21日任官、148名)
- 大将:菅野尚一・森岡守成・鈴木孝雄
- 中将:稲垣三郎・奥村鋭作・小田切政純・小野寺重太郎・神頭勝弥・坂西利八郎・長坂研介・南部麒次郎・尾藤知勝・星野庄三郎・矢野目孫一・山田四郎・山田虎夫・吉江石之助
- 少将:浅野丈夫・蟻川五郎作・上田兵吉・嘉悦敏・金田房吉・久米徳太郎・黒田善治・杉村勇次郎・高橋直武・東郷辰二郎・野沢悌吾・平城盛次・藤田禎一郎・藤津準一・舟尾鉄膓・船橋芳蔵・古川岩太郎・山根一貫・吉橋徳三郎(自決)
- 大佐:南正吾
- 少佐:西久保豊一郎・福島泰蔵(戦死)
3期
(明治25年(1892年)7月23日卒業、明治26年(1893年)3月13日任官、137名)
- 元帥:武藤信義(教育総監)
- 中将:朝久野勘十郎・大野豊四・大島又彦・佐多武彦・高柳保太郎・種子田秀実・三原辰次
- 少将:市瀬敬三郎・岩田恒・小山田勘二・海宝精・沓谷栄輔・鍋島直明・長谷川猪三郎・菱田菊次郎・矢木亮太郎・山内正生
- 大佐:赤柴幾太郎・水野降禄
- 少佐:綾部伝一郎
- 清国留学生:劉詢・宮邦鐸・潘矩楹・王永泉・王汝勤・孫宗先・曲同豊・呉光新・張樹元・張懐斌・賈徳耀・傅良佐
4期
(明治26年(1893年)7月25日卒業、明治27年(1894年)3月7日任官、188名)
- 大将:井上幾太郎・磯村年・田中国重
- 中将:浜面又助・柚原完蔵・岡田重久・向西兵庫・松村法吉・渡辺為太郎
- 少将:市来保二郎・岩井勘六・大島良三郎・奥田為熊・奥野幸吉・加藤豊三郎・杉山正之・沼田団太郎・野島貫一・藤田直太郎・古木秀太郎・牧野正臣・元田亨吉・山下五三郎・山田喜八
- 清国留学生:盧金山・何佩瑢
5期
(明治27年(1894年)7月27日卒業、明治27年(1894年)9月18日任官、213名)
- 大将:金谷範三(参謀総長)・菱刈隆・岸本鹿太郎・吉田豊彦
- 中将:井上一次・木村茂(主計総監)・国司伍七・佐藤小次郎・鈴木一馬・曽田孝一郎・高橋於兎丸・田村守衛・津野一輔・福原佳哉・牧達之・宮地久寿馬・村岡長太郎・山田良之助
- 少将:石川忠治・梅津喜一・大村純英・奥田重栄・河上清吉・木藤弥太郎・黒河内信次・千田嘉平・高梨慶三郎・富塚貞一郎・平野秋夫・松江豊寿・丸野勝喜・山崎友造・吉原岩吉
- 大佐:服部米次郎
- 少佐:小野寺益
- 大尉:桜井久我治
- 清国留学生:姜登選・陳儀
6期
(明治28年(1895年)1月1日卒業、明治28年(1895年)5月22日任官、216名)
- 大将:南次郎(陸相)
- 中将:貴志弥次郎・渡辺寿・安満欽一・村田信乃・有川鷹一・奥野英太郎・香椎秀一・長谷川直敏・三井清一郎(主計総監)・和田亀治
- 少将:津野田是重・斎藤常三郎・佐藤安之助・長渡忠被・家永直太郎・磯部昌朔・梅田岩樹・江口鎮白・岡田誠道・木村益三・古賀義勇・坂初枝・永田小太郎・東正彦・安原啓太郎・渡部勇
- 大佐:永山武敏・小倉英季・関東・松尾伝蔵
- 少佐:岡田和四郎
- 大尉:椎名三蔵
- 清国留学生:周蔭人・唐蟒・孫伝芳・朱綬光・葉荃
7期
(明治29年(1896年)5月27日卒業、明治30年(1897年)1月25日任官、270名)
- 皇族:元帥陸軍大将久邇宮邦彦王・元帥陸軍大将梨本宮守正王
- 大将:畑英太郎・緒方勝一
- 中将:奥平俊蔵・松井兵三郎・高田豊樹・福田彦助・白石通則・安芸晋・伊丹松雄・稲垣清・上原平太郎・菊池武夫・木原仙八・桑田安三郎・小泉六一・静間知次・二子石官太郎・峯幸松・山本清次・吉岡顕作・李秉武(韓国留学生)
- 少将:石井常造・大竹沢治・朽木綱貞・栗原重平・黒江英次・河野鉎次郎・河野恒吉・小松八四郎・志賀剛二・鈴木義雄・高須俊次・竹田津弥・多田庫雄・中川茂雄・羽入三郎・馬場儀雄・藤井清水・星村市平・堀内龍明・壬生基義・守永弥惣次・渡辺好延
- 中佐:板垣義正
- 少佐:桜井文雄
- 大尉:浅野力太郎(戦死)・川喜多大治郎(免官)・吉田護郎
- 清国留学生:朱熙
8期
(明治29年(1896年)11月26日卒業、明治30年(1897年)6月28日任官、292名)
- 李氏朝鮮からの留学生を本格的に受け入れる。
- 大将:林銑十郎・渡辺錠太郎
- 中将:木原清・柴山重一・新井亀太郎・金山久松・汾陽光二・木下文次・佐藤信・永井来・林弥三吉・原口初太郎・深水武平次・堀田正一・宮原国雄・三好一
- 少将:青山寛・浅井光三郎・井上与一郎・宇山熊太郎・岡本春三・神尾直次・小出三郎・斎藤徳匡・島内国彦・鈴木文次郎・田所浪吉・寺江鯉一・中島銑之助・長嶺俊之助・前川譲吉・松野亀雄・南沢岩吉・三輪秀一・安原滝蔵
- 大佐:植田瞭吉
- 中佐:千坂洋三郎・山田英夫
- 清国留学生:王坦・于珍・楊宇霆・張煥相
9期
(明治30年(1897年)11月29日卒業、明治31年(1898年)6月27日任官、650名)
- 大将:⑤松井石根・⑳本庄繁・㊲真崎甚三郎(教育総監)・阿部信行・荒木貞夫(陸相)・林仙之
- 中将:㉒赤井春海・㉔山内静夫・㉘黒崎延次郎・㊶渡辺金造・大村齊・岡本連一郎・坂部十寸穂・室兼次・趙性根(韓国留学生)
- 少将:秋山愛二郎・宇野捨二・小山満雄・久保精唯・栗田真之助・坂井兵吉・相良広一・高島弥之助・津田増次郎・中村直蔵・平沢安次郎・広瀬季彦・本城嘉守・宮崎虎喜・武川寿輔・李煕斗(韓国留学生)・王瑜植(韓国留学生)
- 中佐:藤田勉(新選組斎藤一長男)
- 大尉:⑨小松慶也、佐川直諒(会津藩家老佐川官兵衛長男、戦死)
- 清国留学生:王金鈺
10期
(明治31年(1898年)11月25日卒業、明治32年(1899年)6月27日任官、649名)
- 大将:④松木直亮・⑦西義一(教育総監)・川島義之(陸相)・植田謙吉
- 中将:⑱黒沢準(没後進級)・上村良助・厚東篤太郎・鎌田弥彦・斎藤恒・関谷連三・古谷清
- 少将:⑩水町竹三(満州国軍中将)・押川公実・小野庄造・倉島富次郎・瀬戸口弥太郎・辰巳富吉・原田宗一郎・冨家政市・堀吉彦・溝口直亮
- 大佐:伊吹元五郎・鶴見宜信・町野武馬・藁谷勇三郎
- 中佐:日野熊蔵
- 中尉:池田仲博・水野忠宜
11期
(明治32年(1899年)11月21日卒業、明治33年(1900年)6月22日任官、670名)
- 元帥:寺内寿一(陸相、教育総監)
- 大将:①岸本綾夫
- 中将:②松井七夫・⑲荒蒔義勝・浅田良逸・安藤紀三郎・井染祿朗・井上達三・坂本政右衛門・佐藤子之助・四王天延孝・多門二郎・広瀬寿助・森連・若山善太郎・魚潭(韓国留学生)
- 少将:蘆川良治・石丸志都磨(満州国軍中将)・上野西郎・江藤源九郎・金子規・斎藤稔・渋谷寿一・高城荘吉・西四辻公堯・長谷川国太郎・蜂須賀喜信・堀之内直・山口十八
- 大佐:西郷従徳・立見豊丸
- 中佐:奥田直恭
- 少佐:山内豊景
- 大韓帝国軍正領:盧伯麟
12期
(明治33年(1900年)11月21日卒業、明治34年(1901年)6月25日任官、655名)
- 元帥陸軍大将を輩出した最後期
- 元帥:⑦杉山元(陸相、教育総監、参謀総長)・⑪畑俊六(陸相、教育総監)
- 大将:小磯国昭
- 中将:②渡辺良三・⑥梅崎延太郎・⑬杉原美代太郎・⑳外山豊造・香椎浩平・稲垣考照・岩越恒一・牛島貞雄・大谷一男・蒲穆・郷田兼安・瀬川章友・武田秀一・外山豊造・二宮治重・秦真次・原田敬一・深沢友彦・柳川平助
- 少将:伊藤政之助・今井信夫・蟹江冬蔵・日下部道徳・古賀徹治・斎藤瀏(免官)・須田實・高山輝義・瀧原三郎・竹下範国・田中源太郎・二宮久二・藤野嘉市・三宅篤夫・村田凱一・山本芳輔
- 大佐:梅沢銀造・前田勇・山縣初男
- 中佐:外山栄
- 少佐:石川正雅(尼港事件)
- 大尉:青柳勝敏・升田憲元
- 清国留学生:鄒作華
13期
(明治34年(1901年)11月22日卒業、明治35年(1902年)6月23日任官、722名)
- 大将:⑲中村孝太郎(陸相)
- 中将:①林桂・③中岡弥高・⑧堀丈夫・⑩建川美次・⑮三宅光治・㉓植村東彦・㉖小杉武司・㉞市瀬源助・㊼広瀬猛・㊾石井英橘・嶋永太郎・筒井正雄・福田袈裟雄・武藤一彦
- 少将:⑫西浜司馬吉・一色留次郎・梅戸綽・大川寿賀・加藤鋠二・嘉村達次郎・川原侃・櫻井忠温・佐藤直・名越時中・新山福治・西原矩彦・林業・別技嘉助・三坂隆精・三ツ木秀治・渡部友次郎
- 大佐:④小林順一郎・㊴福井重記
- 少佐:井田磐楠・一戸寛
- 大尉:石川三郎
- 中尉:乃木勝典(戦死)
14期
(明治35年(1902年)11月22日卒業、明治36年(1903年)6月26日任官、702名)
- 大将:②古荘幹郎・西尾寿造(教育総監)・山田乙三(教育総監)
- 中将:③久村種樹・⑤小川恒三郎(没後進級)・⑥伊東政喜・⑨清水喜重・⑯橋本虎之助・飯田恒次郎・宇佐美興屋・大塚堅之助・香月清司・郷竹三・児玉友雄・佐藤三郎・佐村益雄・渋谷伊之彦・鈴木美通・末松茂治・高田友助・高橋貞夫・時乗寿・中村浜作・森田宣・山室宗武・吉富庄祐
- 少将:安達十六・安部秋彦・安藤伊三郎・遠藤五郎・岡原寛・沖直道・小住七五三・小畑巌三郎・木藤郁三・黒田周一・酒井幾造・酒匂宗次郎・佐藤正・佐藤美千代・篠原四郎・菅原良吉・高木尚右・竹嶌藤次郎(没後進級)・武田額三(没後進級)・武富藤吉・継屯・角田政之助・坪井善明・坪川脩吉・鶴見駿太郎・長岡正雄・中牟田辰六・中屋良雄・福島格次・溝口清・峰尾甲一・宮成勝哉・宮村俊雄・安川三郎・山内保次・山中三郎・横巻茂雄・吉崎隆・吉永吉次
- 少佐:四条隆愛・水谷吉蔵
- 大尉:有坂勉・寺島敏三
- 中尉:大迫三次(戦死)・南部利祥(戦死)
15期
(明治36年(1903年)11月30日卒業、明治37年(1904年)2月12日任官、708名)
- 皇族:陸軍少将竹田宮恒久王
- 大将:⑦梅津美治郎(参謀総長)・㊱多田駿・蓮沼蕃
- 中将:③永持源次・④下元熊弥・⑩山崎定義・㉓多田礼吉・㉜中島今朝吾・今井清・岩佐禄郎・川岸文三郎・河村恭輔・上村清太郎・田代皖一郎・谷寿夫・徳川好敏・松浦淳六郎・松田巻平・三毛一夫・山岡重厚・山田健三
- 少将:㊵大濱石太郎・荒川真郷・大場弥平・小嶋時久・谷儀一・服部兵次郎・長谷部照俉・林幸司・依田四郎・金應善(韓国留学生)
- 大佐:池田信吉・小籏精・河本大作・古賀伝太郎(没後進級)・米田国臣・戸田忠庸・宮脇長吉
- 中佐:金基元(韓国留学生)
- 少佐:野津鎮之助
- 大尉:綿貫六助
- 中尉:猪熊敬一郎・小笠原善平・乃木保典(戦死)
16期
(明治37年(1904年)10月24日卒業、明治37年(1904年)11月1日任官、549名)
- 大将:⑥岡村寧次・⑧土肥原賢二(教育総監)・㊱板垣征四郎(陸相)・㊼安藤利吉(教育総監)
- 中将:①永田鉄山(相沢中佐事件により昇任)・④桑木崇明・⑤小畑敏四郎・⑨松井命・⑪中山蕃・⑮藤田進・⑰尾高亀蔵・㉑園部和一郎・㉒牛島実常・㉔鈴木元長・㉙松村修己・磯谷廉介・小笠原数夫
- 少将:②森五六・③藤岡萬蔵・赤松寅七・岡村元・澤木元雄・林大八(没後進級)・藤井重郎(没後進級、満州国軍中将)・水野保・持永浅治・遊佐幸平・横浜和義
- 大佐:伊藤赳
- 少佐:小川武次・⑭黒木親慶
17期
(明治37年(1904年)入校、明治38年(1905年)3月30日卒業、明治38年(1905年)4月21日任官、363名)
- 大将:⑫東條英機(陸相、参謀総長)・後宮淳・前田利為
- 中将:①篠塚義男・④飯田貞固・⑥鈴木重康・⑩吉住良輔・岩松義雄・上野良丞・江橋英次郎・荻洲立兵・渡久雄
- 少将:⑨工藤義雄・石井虎雄・伊藤精司・井上乙彦・大島陸太郎・柴平四郎・舘余惣・野澤北地・林真
- 大佐:木本氏房・佐藤求己
- 中佐:石割平造
18期
(明治38年(1905年)11月25日卒業、明治39年(1906年)6月26日任官、920名)
- 大将:④山脇正隆・⑤岡部直三郎・阿南惟幾(陸相)・藤江恵輔・山下奉文
- 中将:①安井藤治・②酒井鎬次・安達十九・安藤三郎・甘粕重太郎・稲葉四郎・井上政吉・大島浩・菊池門也・黒岩義勝・久納誠一・小島吉蔵・小松原道太郎・佐々木到一・澤田茂・重藤千秋・田島栄次郎・土橋一次・波田重一・浜本喜三郎・安岡正臣(法務死)・矢野機・鷲津鈆平・中島鉄蔵
- 少将:浅間義雄・井上三郎・長嶺亀助・平野助九郎・広瀬勝滋
- 大佐:佐竹僴一郎
- 大尉:木村三郎
19期
(明治40年(1907年)5月31日卒業、明治40年(1907年)12月26日任官、1068名)
- 大将:㊸田中静壱・今村均・河辺正三・喜多誠一・塚田攻
- 中将:②小須田勝造・③本間雅晴(法務死)・④値賀忠治・⑪藤井洋治(戦死)・⑭斎藤弥平太・㉔秦雅尚・㉚佐藤正三郎・㊹国崎登・㊺熊谷敬一・阿部規秀(戦死)・石黒貞蔵・儀峨徹二・桑原四郎・関亀治・高木義人・沼田徳重・平田健吉・舞伝男
- 少将:㉑苫米地四楼・㉒手塚省三・㊴後藤十郎・猪鹿倉徹郎・大塚信照・金子定一・浜田勇(1階級特進)・松室孝良・若竹又男・脇坂次郎
- 大佐:宍戸功男
- 中尉:⑫山中峯太郎(依願免官)・徳田金一(殉職)
- 中華民国陸軍: 黃國書
20期
(明治41年(1908年)5月27日卒業、明治41年(1908年)12月25日任官、276名)
- 皇族:大将朝香宮鳩彦王・大将東久邇宮稔彦王(陸相)・砲兵大佐北白川宮成久王
- 大将:③牛島満(没後進級)・⑥下村定(陸相、教育総監)・⑮木村兵太郎・㉒吉本貞一
- 中将:①草場辰巳・②橋本群・④木下敏・⑰七田一郎・⑱吉田悳・㉕馬場保雄・㊲飯田祥二郎・㊷野口正義・㊿中井良太郎・井上貞衛・北島驥子雄・酒井隆・鷹森孝
- 少将:㉟竹村直臣・㊳福原豊三・小藤恵
- 大佐:⑯山田長三郎(自決)
21期
(明治40年(1907年)入校、明治42年(1909年)5月27日卒業、明治42年(1909年)12月25日任官、418名)
- 大将:⑯富永信政
- 中将:②飯村穣・③井出宣時・④町尻量基・⑤渡辺正夫・⑦菰田康一・⑧横山勇・⑨百武晴吉・⑩島本正一・⑫黒田重徳・⑬石原莞爾・⑮菅原道大・⑰阿部平輔・㉒上月良夫・㉕樋口季一郎・㉖安田武雄・㉜平林盛人・飯沼守・内山英太郎・大賀茂・岡本保之・柴田夘一・永見俊徳・林芳太郎
- 少将:㉙中島三栖雄・㊹加納治雄(没後進級)・安藤忠一郎・加藤保太郎・儀我誠也・佐々木勇・長崎守一・林一造
- 大佐:㉗坂田義朗・安江仙弘・佐川績・真井鶴吉(満州国軍中将)
- 中尉:斎藤元宏
- 清国留学生:閻錫山
22期
(明治41年(1908年)入校、明治43年(1910年)5月28日卒業、明治43年12月26日任官、721名)
- 中将:①瀬谷啓・③笠原幸雄・④村上啓作・⑤寺倉正三・⑥豊嶋房太郎・⑦田辺盛武・⑧鈴木率道・⑨本多政材・⑩北野憲造・安達二十三・磐井虎二郎・上村利道・大木繁・大島駿・大場四平・小倉達次・片山省太郎・加藤泊治郎(戦病死)・萱嶋高・小林信男・小林恒一・坂口静夫・鈴木貞一・関原六・高橋多賀二・竹内寛・寺本熊市・田中久一・中川広・中村明人・西村琢磨・野副昌徳・原田熊吉・松井太久郎・松山祐三・牟田口廉也・森岡皐・両角業作・矢野音三郎・山縣業一・山本三男
- 少将:飯塚国五郎(没後進級)・岩佐俊・松井源之助・松野尾勝明
- 中佐:相沢三郎
- 少佐:大山柏・空閑昇(自決)・徳川圀順
23期
(明治42年(1909年)入校、明治44年(1911年)5月27日卒業、明治44年(1911年)12月26日任官、740名)
- 大将:⑫小畑英良
- 中将:①清水規矩・③桜井省三・⑤十川次郎・⑪神田正種・池田廉二・伊佐一男・石本寅三・板花義一・伊東武夫・及川源七・大迫通貞・大津和郎(没後進級)・岡田資(法務死)・尾崎義春・小田健作(没後進級)・柏徳・片村四八・河田槌太郎・岸川健一・佐伯文郎・酒井直次・坂西一良・佐野忠義・志位正人・志摩源吉・下野一霍・鈴木啓久・竹下義晴・竹原三郎・多田保・遠山登・永津佐比重・奈良晃・西原貫治・根本博・野地嘉平・長谷川治良・福栄真平(法務死)・藤田茂・藤岡武雄(自決)・宝蔵寺久雄・堀井富太郎・丸山政男・水上源蔵(自決特進)・山県栗花生(戦死)
- 少将:粟飯原秀・芦塚長蔵・天羽馬八・生田寅雄・板津直俊・大井川八郎・太田藤太郎・岡部通・小原金裕・木島袈裟雄・倉永辰治(没後進級)・斎藤肇(没後進級)・酒井美喜雄・佐藤謙・下河辺憲二・新美二郎・畑勇三郎・樋口清登・的野憲三郎・森田徹・山田栄三
- 大佐:②石田保政・大島久忠・橋本欣五郎・堀三也
- 中佐:江本茂夫
- 大尉:板倉孝(憲兵)・安辺浩
- 韓国留学生:中尉:金光瑞(金顕忠、金擎天)
24期
(明治45年(1912年)5月28日卒業、大正元年(1912年)12月24日任官、734名)
- 大将:③鈴木宗作(戦死)
- 中将:①酒井康・②澄田𧶛四郎・④青木成一・⑨沼田多稼蔵・⑩上村幹男・⑫馬場正郎・㉑本郷義夫・㉘中沢三夫・㉜秋山徳三郎・㉟中薗盛孝(戦死)・㊲小林浅三郎・㊶野田謙吾・赤柴八重蔵・石井嘉穂・岩永汪・河辺虎四郎・川並密・櫛淵鍹一・楠本実隆・鯉登行一・重田徳松・柴山兼四郎・田中信男・土橋勇逸・秦彦三郎・斎藤義次・下田宣力(没後進級)・中野英光・長野祐一郎・服部暁太郎・細川忠康・麦倉俊三郎・八隅錦三郎・山崎清次・山本務・横尾闊(没後進級)・横山静雄
- 少将:⑦森田範正・岡明之助(戦死)・⑳加藤守雄・㉕佗美浩・瓦田隆根・佐久間盛一・志甫勤一郎・東海林俊成・仁保進・万城目武雄・三宅貞彦・目賀田周之助
- 大佐:鷹司信熙・野口雄二郎(満州国軍中将)
- 中佐:⑯深山亀三郎(殉職)
- 少佐:飯沼守麿
- 大尉:㊿甘粕正彦・大沢二郎
- 少尉:岸田國士
25期
(大正2年(1913年)5月26日卒業、大正2年(1913年)12月25日任官、741名)
- 中将:①青木重誠(戦病死)・③古閑健・④下山琢磨・⑥西原一策・⑨星野利元・⑬中村正雄(没後進級)・⑭佐藤幸徳・⑯前田正実・⑰田中新一・㉑小倉尚・㉒細見惟雄・㉔原守・㉘武田馨・㉙桜田武(戦死)・㉝三国直福・㉟富永恭次・㊱西田祥実(没後進級)・㊴大城戸三治・石田乙五郎・磯田三郎・河野悦次郎・片桐茂(戦死)・加藤鑰平・菅晴次・葛目直幸(没後進級)・阪口芳太郎・須藤栄之助・高品彪(戦死)・高橋茂寿慶・田坂八十八・立花芳夫(法務死)・田上八郎(法務死)・玉田美郎・辻演武・中山政康・那須弓雄(没後進級)・原田宇一郎・三浦三郎・武藤章・山内正文・山崎保代(没後進級)・山路秀男・横田豊一郎・横山武彦(没後進級)・吉岡安直
- 少将:㊼岡本徳三(没後進級)・㊾中村肇・秋山久三・石黒岩太・伊集院兼信・宇賀武(没後進級)・岡村勝実・上砂勝七・木庭知時・杵村久蔵(没後進級)・鈴木辰之助(没後進級)・長沢貫一・横井忠道
- 大佐:②須見新一郎・今村安・臼田寛三・小林吉二・小原澤幸蔵
- 中尉:松下芳男
26期
(大正3年(1914年)5月28日卒業、大正3年(1914年)12月25日任官、742名)
- 陸軍大将を輩出した最後期
- 大将:栗林忠道(戦死)
- 中将:④井上作巳・安部孝一・天晶恵・雨宮巽(戦死)・岩切秀・岩仲義治・遠藤三郎・大野広一・岡崎清三郎・落合甚九郎・影佐禎昭・木下勇(戦死)・洪思翊(法務死)・佐々木登・塩沢清宣・篠田鐐・千田貞季・田副登・中永太郎・名倉栞・花谷正・林義秀・藤本鉄熊・牧野四郎(戦死)・宮崎繁三郎・物部長鉾・柳田元三・山田清一(自決)・吉積正雄・若松只一・和知鷹二
- 少将:秋草俊・井上靖・岩切義一・大内孜(没後進級)・小川三郎・落合鼎五・鬼武五一・皆藤喜代志・梶浦銀次郎・加藤邦男・川口清健・北村勝三(自決)・佐藤源八・住吉正・田中隆吉・千知波幸治・長友次男・簗瀬真琴
- 大佐:東八百蔵(戦死)・新井匡夫(特進)・大塚寅雄・李應俊(香山武俊・韓国軍中将、韓国軍初代参謀総長)・劉升烈(江本烈・韓国軍少将)・安秉範(安鐘寅、亀村貞信・韓国軍准将)
- 中佐:⑥満井佐吉・申泰英 (平山輔英)
- 少佐:李大永(海東孝朋・韓国軍准将)
- 大尉:内山雄二郎・金埈元(韓国軍准将)
- 満州国軍中佐:朴勝薫(韓国軍少将)
- 中尉:木原円次・池大亨(韓国光復軍総司令官)
27期
(大正4年(1915年)5月25日卒業、大正4年(1915年)12月25日任官、761名)
- 中将:①藤室良輔(没後進級)・④橋本秀信・⑤原乙未生・⑦諫山春樹・青木武三・秋永月三・綾部橘樹・井桁敬治(没後進級)・石川愛・伊藤忍・岩崎民男・大須賀応(没後進級)・大前憲三郎・岡本清福・片岡董・木下栄市・木村松治郎・国武三千雄・久野村桃代・栗栖猛夫(没後進級)・佐久間亮三・重見伊三雄(没後進級)・四手井綱正・高橋坦・田坂専一・辰巳栄一・田中友道・谷田勇・坪島文雄・西大條胖・納見敏郎(憲兵・自決)・信氏良吉・原田次郎・樋口敬七郎・藤塚止戈夫・宮下健一郎・村田孝生・山田国太郎・芳仲和太郎・吉原矩・渡左近
- 少将:阿蘇太郎吉(没後進級)・小野行守・河嶋修・小堀金城・佐々木達治郎・赤藤庄次・高地茂都・瀧昇・谷肇・道下義行・中熊直正(戦死)・原田棟・蛭沼七蔵(没後進級)・美田千賀蔵(戦死)・元泉馨(自決)
- 大佐:大内維武・東宮鉄男(戦死)・星実敏(憲兵)・金錫源(金山錫源・韓国軍少将)・白洪錫(韓国軍少将)
- 中佐:金仁旭
- 少佐:堀内一雄(満州国陸軍少将)
- 中尉:張錫倫(韓国軍大佐)
- 少尉:荒木五郎・関口存男
28期
(大正5年(1916年)5月26日卒業、大正5年(1916年)12月26日任官、651名)
- 中将:①白銀重二・④山本健児・⑤原田義和・⑦寺田済一・秋永力・池田純久・石野芳男・鵜沢尚信・川越守二・川俣雄人・近藤新八(法務死)・田村浩・長勇・塚田理喜智・中西良介・長嶺喜一(没後進級)・浜田平・深堀游亀・松田巌・馬奈木敬信・峯木十一郎・宮崎周一・森赳・山本清衛
- 少将:安倍克巳(没後進級)・一木清直(没後進級)・今川一策・後藤十郎(没後進級)・作間喬宜・重藤憲文(戦病死)・長谷川務・二見秋三郎・能勢潤三・堀毛一麿
- 大佐:石川明・小柴俊男・棚橋真作・芳賀豊次郎・成富政一(没後進級)
- 中佐:井置栄一(公務死)
- 中尉:岡茂雄
- 中国留学生:何応欽・朱紹良・谷正倫・賀耀組
29期
(大正6年(1917年)5月25日卒業、大正6年(1917年)12月25日任官、536名)
- 王族:中将李王垠
- 中将:①河村参郎(法務死)・②渡辺雅夫・③有末精三・⑥後藤光蔵・磯矢伍郎・稲田正純・鎌田銓一・唐川安夫・小松光彦・佐藤賢了・清水盛明・寺田雅雄・土居明夫・中井増太郎・中西貞喜・中野良次・額田坦・萩三郎・守屋精爾(没後進級)・吉田喜八郎
- 少将:④園田晟之助(没後進級)・小野門之助(没後進級)・北川潔水・四方諒二・谷萩那華雄(法務死)
- 大佐:⑤田中清・安東貞雄・内山豪三郎・鳥飼恒男・片岡清・長浜彰(憲兵、法務死)
- 中佐:今村久
- 中尉:和田勁(満州国陸軍中将)
30期
(大正7年(1918年)5月27日卒業、大正7年(1918年)12月25日任官、632名)
- 中将:④磯村武亮(1階級特進)・中川州男(2階級特進)・川上清志(1階級特進)
- 少将:①高嶋辰彦・②工藤良一・⑤宮野正年・⑥今井一二三・石井正美・石本五雄(没後進級)・伊藤鈴嗣・今井武夫・今田新太郎・岡田菊三郎・小畑信良・岩畔豪雄・加治武雄・桑原支那吉(1階級特進)・隈部正美・五島正(没後進級)・佐治直影(没後進級)・桜井徳太郎・桜井鐐三・沢本理吉郎・鈴木敬司・専田盛寿・副島太郎(没後進級)・土岐鉾治・那須義雄・正木博・馬淵逸雄・森本軍蔵・山岡道武・山口槌夫・渡辺三郎・渡辺渡
- 大佐:大石正幸(憲兵)・大迫勝・岡本孝行・戸根木亀之助・風間満季・松本昌次(松本明子の祖父)
- 中佐:高浜武夫(戦死)
- 少佐:石川祥一・井上辰雄(戦死)
- 中尉:厳柱明(韓国軍准将)
31期
(大正8年(1919年)5月28日卒業、大正8年(1919年)12月25日任官、489名)
- 中将:⑤田村義冨(自決)・有末次(没後進級)・公平匡武(没後進級)・森巌(没後進級)
- 少将:①中川留雄・⑥小野寺信・⑦臼井茂樹(没後進級)・青津喜久太郎・上田昌雄・岡田重一・奥信夫・片倉衷・川嶋虎之輔・川本芳太郎・久米精一・小池龍二・坂間訓一・真田穣一郎・立石方亮・西義章(没後進級)・原田貞憲・藤原武(没後進級)・星駒太郎・三好康之・山本茂一郎
- 大佐:大島卓・大谷敬二郎(憲兵)・垣内八洲夫・東平作・村中四郎・下村力
- 中佐:浅井敏夫(戦病死)
32期
(大正9年(1920年)5月26日卒業、大正9年(1920年)12月26日任官、429名)
- 皇族:中将賀陽宮恒憲王
- 少将:①西村敏雄・②黒川邦輔(没後進級)・③林太平・⑤中山源夫・⑧信濃成繁・相京正夫(自決、没後進級)・青木喬・浅野克己・阿部芳光・天野正一・依知川庸治・宇都宮直賢・大坪潔・小野武雄(没後進級)・草場季喜・小沼治夫・佐方繁木・高品朋・銅金義一・富田直亮・戸波宗道・友近美晴・丹羽勇・能登久・浜田弘・林勇蔵・福地春男(獄死)・本郷忠夫(没後進級)・本多三男(没後進級)松村秀逸・三島美貞・山田英男
- 大佐:甘粕三郎・小原重孝・村岡安・山本敏(特務機関(光機関))
33期
(大正10年(1921年)7月27日卒業、大正10年(1921年)10月16日任官、437名)
- 皇族:芳麿王(後に臣籍降下し山階芳麿侯爵(砲兵中尉)となる)
- 少将:③野村恭雄・④加藤義秀・⑤中山寧人・⑥重安穐之助・⑦池谷半二郎・安達久・有森三雄・市田一貫(1階級特進)・大平秀雄・小川一郎・小野打寛・加藤道雄・賀谷與吉(戦死)・木佐木久・江湖要一・小林誠一・坂井芳雄・菅井斌麿・谷川一男・坪内剛直・都甲徠・永井八津次・西村乙嗣・野村健三・早淵恒治・広瀬四郎・松村知勝・松村弘・三輪潔・山崎正男・吉武安正
- 大佐:今村方策・鈴木庫三・水谷一生・藤田実彦・島貫忠正(島貫五兄弟の長男)
- 中佐:杉本五郎(戦死)・藤田雄蔵(1階級特進)・柴有時・神保信彦
- 少佐:清水清(1階級特進)
- 大尉:①田中弥・百武俊吉・山口一太郎・浅野節
- 少尉:西久保豊成
34期
(大正11年(1922年)7月28日卒業、大正11年(1922年)10月25日任官、345名)
- 皇族:少将秩父宮雍仁親王
- 少将:池田末男(戦死)、木谷美雄(没後進級)・大西洋(没後進級)
- 大佐:①武田功・②花本盛彦・③西浦進・④石井秋穂・⑫服部卓四郎・⑲堀場一雄・赤松貞雄・小尾哲三・清家武夫・松平定堯
- 中佐:岡田良一(岡田光玉・崇教光玉)・松井麻之助
- 中尉:西田税
- 中退:三好達治
- 中国留学生:郭徳権(中華民国軍中将・立法委員)
35期
(大正12年(1923年)7月21日卒業、大正12年(1923年)10月25日任官、315名)
- 皇族:邦久王(後に臣籍降下し久邇邦久侯爵(歩兵大尉)となる)
- 少将:権藤正威(没後進級)・佐藤直(没後進級)
- 大佐:③松谷誠・④荒尾興功・⑥大坂順次・⑦櫛田正夫・⑩鈴木京・天野勇(戦死)・石川晋・井戸田勇・稲田安良・榊原主計・藤井貞寿・八原博通・美山要蔵
- 中佐:伊理仁一
- 大尉:大岸頼好
36期
(大正13年(1924年)7月18日卒業、大正13年(1924年)10月25日任官、330名)
- 実役停年通りに昇進する閑院宮春仁王が昭和20年6月に陸軍少将に昇進するが、その他の者で少将まで昇進した者は戦死による特進の場合のみ。
- 皇族:陸軍少将閑院宮春仁王
- 少将:⑨島村矩康・伊藤盛逸・木村正治・鈴木真雄
- 大佐:①辻政信・②甲谷悦雄・③岡田芳政・⑦穐田弘志・⑰西郷従吾・㉖志甫健吉・㉗島貫武治(島貫五兄弟の次男)・㉜岡村愛一・㉝牧達夫・㉞高橋鶴夫・㊴塚本誠・松本博・大庭小二郎・西竹一(1階級特進)・杉山茂・新藤常右衛門
- 中佐:大村純毅
- 大尉:野中四郎(自決)
陸軍士官学校本科以降
37期
(大正14年(1925年)7月25日卒業、大正14年(1925年)10月26日任官、302名)
- 中将:③片山二良(2階級特進)
- 少将:㉞加藤建夫(2階級特進)
- 大佐:①井本熊男(陸将)・②山縣有光・⑧親泊朝省・⑪村上正一・⑰解良七郎・㉙今岡豊・㉟杉田一次・㊿矢野正俊・種村佐孝・秋山紋次郎・奥野一雄・林三郎
- 中佐:㊴野々山秀美・朝山小二郎
- 少佐:伊藤佐又・毛利元道
- 大尉:㉖村中孝次(刑死)・香田清貞(刑死)・菅波三郎・大蔵栄一
38期
(大正15年(1926年)7月16日卒業、大正15年(1926年)10月25日任官、340名)
- 少将:大曽根義彦(戦死)
- 大佐:①高瀬啓治・②吉田元久・③高崎正男・④新宮陽太・⑦岡村誠之・松前未曽雄・大賀時雄・西岡繁・神崎長
- 中佐:浦部彰(戦死)・釘宮清重・山本顕弌・了戒次男・若松満則
- 大尉:安藤輝三 (刑死)
- 一等主計(大尉相当官):磯部浅一 (刑死)
39期
(昭和2年(1927年)7月19日卒業、昭和2年(1927年)10月25日任官292名)
- 大佐:①高山信武・②金子倫价・③細田煕・④有岡義貫・⑦島貫常行(島貫五兄弟の三男)・不破博・堂薗勝二・中原茂敏・中沢勝三郎・松田武・草地貞吾
- 中佐:一戸公哉・井上清一・大橋武夫・釜井耕輝・辻本隼三・牧野靖雄・馬杉一雄・吉田正治(戦死)
- 留学生:黄瀛
40期
(昭和3年(1928年)7月17日卒業、昭和3年(1928年)10月26日任官、225名)
- 大佐:黒田孝男(戦死)・橋田靖(戦死)
- 中佐:④神笠武登・⑦石川秀江・㉑立花四郎・㉔宮崎舜市・㉛田中義男・井上忠男・島谷武・村中頼雄・森丙・吉満末盛
- 大尉:河野壽(自決)
- 中尉:②竹嶌継夫 (刑死)
- 少尉:①高草木鳥海
41期
(昭和4年(1929年)7月17日卒業、昭和4年(1929年)10月25日任官、239名)
- 皇族:茂麿王(後に臣籍降下し葛城茂麿伯爵(中佐)となる)
- 大佐:⑪近藤伝八(戦死)
- 中佐:①佐藤徳太郎・④衣川慶太郎・⑩山口英治・⑫水町勝城・⑰和田盛哉・㉙越次一雄(戦死)・板垣徹・片岡太郎・神野敏夫・加藤昌平・高橋清伍(没後進級)
- 大尉:荒木克業(戦死)
- 中尉:栗原安秀・中橋基明 (共に刑死)
42期
(昭和5年(1930年)7月19日卒業、昭和5年(1930年)10月25日任官、218名)
- 皇公族:中佐竹田宮恒徳王・中佐李鍵公
- 大佐:金子昌雄(戦死)
- 中佐:①野原博起・②山口敏寿・⑦芝生英夫・⑧伊藤昇・⑨加登川幸太郎・⑩浅井勇・⑭竹下正彦・⑮西浦節三・稲葉正夫・小笠原清・尾関正爾・細川直知・中村俊雄
- 少佐:中田薫
43期
(昭和6年(1931年)7月22日卒業、昭和6年(1931年)10月26日任官、227名)
- 皇族:砲兵少佐北白川宮永久王
- 大佐:①甲斐崎三夫・石川泰知(戦死)
- 中佐:②橋島芳雄・⑨白井正辰・㉒広瀬栄一・㉔藤原岩市(陸将)・天野良英(陸将)・菊池光明・牟田弘國(空将)・吉江誠一(陸将)
- 少佐:③人見永壽・内田忠顕
- 中尉:新井勲(失官)・丹生誠忠(刑死)
44期
(昭和7年(1932年)7月11日卒業、昭和7年(1932年)10月25日任官、315名)
- 中佐:①原 四郎(一等空佐)・②瀬島龍三・③新井健・⑤岩越紳六(陸将)・⑦国武輝人(陸将)・⑨梅澤治雄(陸将)・⑪首藤忠男・㉘浦 茂(空将)・㉙中村雅郎・白石通教・橋詰 勇・神 直道
- 少佐:丸田文雄(空将)・佐藤 勲(戦死)・宇木素道・三橋泰夫・大西寿良・松浦 邁
- 中尉:坂井 直(刑死)
45期
(昭和8年(1933年)7月11日卒業、昭和8年(1933年)10月20日任官、337名)
- 皇公族:中佐朝香宮孚彦王・大佐李鍝公
- 中佐:①神田八雄・②田中兼五郎(陸将)・④田中耕二(空将)・⑥井田正孝・⑨島貫重節(島貫五兄弟の四男)・⑩高木作之(空将)・⑪山内豊秋・⑫榊原正次・⑰橋本正勝(陸将)・㉕朝枝繁春・黒崎貞明・金富与志二・椎崎二郎(自決)・李炯錫(若松勇作)・岩橋譲三(戦死)
- 少佐:大室 孟(空将)・前川國雄(空将)・井上元幸(陸将補)・明石寛二
- 大尉:梶原元幸(戦死)
- 中尉:田中 勝(刑死)
46期
(昭和9年(1934年)6月卒業、338名)
- 中佐:高田増実(戦死)
- 少佐:③田中光祐・⑩益田兼利・⑫緒方景俊(空将)・⑬林 礪三・㉖平野斗作・㉚晴気 誠(自決)・㉞飯尾祐幸・畑中健二(自決)・堀 栄三(陸将補)・片倉 恕・野口省己(陸将補)・小岩井光夫・岡崎整吾・大隈 到
- 大尉:西住小次郎(戦死)
- 少尉:中島莞爾(刑死)・安田 優(刑死)・高橋太郎 (刑死)
47期
(昭和8年(1933年)4月入校、昭和10年(1935年)6月卒業、330名)
- 満州国軍中校(中佐相当):満州国元首の弟・醇親王継嗣:愛新覚羅溥傑
- 大佐:藤井辰次郎(戦死、2階級特進)
- 中佐:山内保武(戦死)
- 少佐:①小林友一・②鈴木忠男・③倉茂 進・④松崎正臣・⑤山本 要・⑥戸梶金次郎・⑧完倉壽郎・⑫川原幸助(戦死)・⑬山口 立(陸将)・⑯根来卓美(空将)・㉘舩木 繁・㉜石原貞吉(公務死)・㉟枦山徹夫・㊳岩宮 満(空将)・上妻正康(陸将)・草場 栄・山崎昌来・野中国男(自決)・井川 省(1946年インドシナ戦争で戦死)
- 少尉:林 八郎 (刑死)・常盤 稔・今泉義道・鈴木金次郎・清原康平・池田俊彦
48期
(昭和11年(1936年)6月卒業、388名)卒業の年に2.26事件があった。
- 皇族:少佐三笠宮崇仁親王
- 中佐:⑦向井正武(戦死)・⑧薬丸兼教(没後進級)
- 少佐:⑤衣笠駿雄・⑨田中俊資・⑩今井義郎・秋山登・高橋正二・代永兵衛・川島威伸・後 勝・成松長正・石橋龍雄(戦死)
- 大尉:岩田道孝(戦死)
- 少尉:後宮二郎(自決)、渡邊和男
49期
(昭和12年(1937年)6月卒業、471名。終戦までの戦没者は殉職含め165名)
- 皇族:少佐東久邇宮盛厚王
- 少佐:①酒井正美・④青木香・⑮溝口昌弘・⑰高杉恭自・⑲上田泰弘(空将)・㉒奥村房夫・㊳山口二三・㊷保田直文・岩田清一・中村龍平・李鍾贊・蔡秉徳(大島秉徳)・野田毅(法務死)・渡邊正・真嶋浩
50期
(陸士1937年12月卒業426名。戦死者129名、戦病死18名、殉職4名、終戦時自決1名)
- 少佐:①曲寿郎・⑪津野田知重(免官)・㉟堀江正夫(陸将)・㊶舞敏方・朴範集(東林益範)・窪田兼三・李龍文(山本健雄)・釜賀一夫(陸将補)
- フィリピン:ホセ・パシアノ・ラウレル(ホセ・ラウレル大統領次男)
51期
(1938年12月卒業461名。戦没者188名、自決4名)
52期
(1939年9月卒業508名。戦死167名、戦病死18名、殉職29名、自決4名、法務死2名)
53期
(1940年2月卒業1365名。戦死者651名)
- 大佐:奥山道郎(義烈空挺隊長、戦死、二階級特進)
- 少佐:赤松嘉次(渡嘉敷島守備隊長)・梅澤裕 (座間味守備隊長)・飯村繁・杉山龍丸・千明武久(戦死)・橋本賢次・土生洋平・申應均(平山勝敏)・奥田鑛一郎・亀岡高夫・石井卓雄(ベトナム独立戦争で戦死)・池田二郎・植松貞義・佐藤登(卒業後、転科し陸軍航空士官学校第95期特别召集佐尉官操縦生。陸軍一〇〇式司令部偵察機操縦士。終戦時陸軍少佐。戦後はアメリカ合衆国防空学校国費留学)・倉岡愛和・小野恭之(航空士官学校1区隊長)
- 大尉:三好秀男(陸上自衛隊第11代陸上幕僚長)
54期
(1940年9月卒業1798名。戦没者762名、戦病死92名、法務死4名、殉職76名、終戦時自決2名)
- 皇族:彰常王(後に臣籍降下し粟田彰常侯爵(陸軍大尉)となる)
- 大尉:小川諭(陸将補)金貞烈(香川貞雄)・高品武彦・ 高村武人・ 藤井政美・村上稔夫・佐藤(戦後谷崎)好弘・北畠暢男・佐々木春隆(防衛大学校教官)・塚本勝一(陸将)・駒野昇
55期
(1941年7月卒業1755名。戦没者962名)
56期
(1942年12月卒業1672名。戦没者1003名)
- 少佐:阿部信弘(戦死)・崔貞根(高山昇・2階級特進、戦死)・水川禎輔(2階級特進、戦死)・田中秀志(2階級特進、戦死)・出丸一男(2階級特進、戦死)
- 大尉:牛島貞二・李亨根(松山武雄)・崔昌植(高山隆)・金鍾碩(日原正人)・酒井次武
57期
(1944年(昭和19年)4月卒業1268名。戦没者七百数十名)
- 大尉:桂正(2階級特進、戦死)・荒木春雄(2階級特進、戦死)・後藤光春(2階級特進、戦死)・金泳秀(金山泳秀・2階級特進、戦死)
- 中尉:①松本崇・②片岡謙・③吉村勝・④岩城正保・飯山茂・大島国雄・鈴木敏通・村上兵衛
- 留学生:朴正煕(高木正雄)
58期
(1945年(昭和20年)6月卒業1146名)
- 終戦直前任官した陸軍最後の少尉であり、戦後占領軍により昭和26年春まで公職から追放された。
- 少尉:青木誠一・岡澤完治・村井澄夫・丁來赫(玉岡聖賢)・朴元錫(徳田元教)・申尚澈(永田達明)・韓鏞顯(米原旭一)・崔福洙(佳山竜雄)・安光銖(亀村正経)・青井秀(34普連長)・山口信夫・川北博・下山敏郎・宮崎繁樹・山本卓眞・吉田泰造・羽山昇(理想科学工業創業者)
59期
(終戦後に特別に卒業資格を付与、一般大学の受験資格を得た。陸士1250名)
- 昭和18年4月1日に陸軍予科士官学校入校、昭和19年10月13日に予科士官学校卒業、同日に士官候補生を命ぜられ、昭和19年10月14日に士官学校入校、同日に兵長の階級を与えられ、昭和20年1月15日に伍長の階級に進み、昭和20年3月15日に軍曹の階級に進むが、在校中に終戦を迎えた。1961年に59・60期の同窓会「国史会」一部の者がクーデターを企画して破防法適用事件第1号となった(三無事件参照)。
60期
(陸士1824名) 昭和19年2月21日幼年学校出身者は予科士官学校へ仮入校。
- 本科生徒たる兵長で士官学校閉校。
61期
関連書籍
- 『市ヶ谷台に学んだ人々』桑原獄 著、文京出版、2000年9月。ISBN 4-938893-11-8。