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鷹森孝

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鷹森 孝(たかもり たかし、1888年明治21年)1月9日 - 1968年昭和43年)4月27日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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三重県出身。津市長・黒川佐太郎の四男として生れ、陸軍少佐・鷹森赳夫の養子となる。名古屋陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1908年(明治41年)5月、陸軍士官学校(20期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第51連隊付となった。

歩兵第51連隊中隊長、歩兵第75連隊中隊長、第19師団副官近衛歩兵第3連隊付、豊島師範学校配属将校歩兵第68連隊付、独立守備歩兵第3大隊付などを歴任。1936年(昭和11年)8月、陸軍大佐に昇進し独立守備歩兵第3大隊長に就任。翌年8月、歩兵第68連隊長となり日中戦争に出征。南京攻略戦徐州会戦などに参戦した。陸軍予科士官学校生徒隊長を経て、1939年(昭和14年)3月、陸軍少将に進級。

1940年(昭和15年)3月、琿春駐屯隊長となり、1941年(昭和16年)10月、陸軍中将に進み、第11師団長に親補され満州に駐屯した。1945年(昭和20年)4月、第12軍司令官に就任し、華北での作戦に従事し終戦を鄭州で迎えた。1946年(昭和21年)7月に復員

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

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位階
勲章

親族

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脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。
  2. ^ 『官報』第7701号「叙任及辞令」1909年3月2日。
  3. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  4. ^ 『官報』第4688号「叙任及辞令」1942年8月25日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。