小野打寛
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小野打 寛(おのうち ひろし、1899年(明治32年)9月8日[1] - 1984年(昭和59年)8月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]東京府出身[1][2]。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業[3]。1929年(昭和4年)陸軍大学校第41期卒業[4]。
ラトビア駐在武官、フィンランド駐在武官を経て、1941年(昭和16年)3月、陸軍大佐に進む[2]。1944年(昭和19年)11月に引揚し、近衛第1師団参謀長から1945年(昭和20年)6月1日、第53軍参謀長に補され、同月10日に陸軍少将に進んだ[2]。伊勢原付近に展開し本土決戦に備える中終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。