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加藤道雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

加藤 道雄(かとう みちお、1900年明治33年)8月29日[1] - 1981年昭和56年)5月24日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

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京都府出身[1][3]。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校33期)を卒業[1][4]。同年10月、歩兵少尉に任官した[4]。1931年(昭和6年)11月、陸軍大学校43期)を卒業した[1][3][5]

1939年(昭和14年)3月、陸軍大臣秘書官副官に就任[3]。1940年(昭和15年)11月、第13軍参謀(作戦主任)に発令され日中戦争に出征[1][3]。1941年(昭和16年)8月、陸軍大佐に進み、同年12月、陸士教官に転じた[3]

1942年(昭和17年)11月、第8方面軍第2課長に発令され太平洋戦争に出征し、ニューブリテン島ラバウルに赴任した[1][3]。1943年(昭和18年)8月、参謀本部付に転じて帰国。教育総監部庶務課長を経て、1944年(昭和19年)10月、陸軍予備士官学校生徒隊長に就任[3]。1945年(昭和20年)6月、陸軍少将に進んだ[1][3]。同年7月、第30軍参謀長に発令され満州に赴任[1][3]対ソ防衛戦に参戦して新京で終戦を迎え[1]シベリア抑留となった[2]1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[6]

帰国後、日本旅行社取締役総務部長などを務めた[2]。1981年5月、老衰のため京都市の自宅で死去した[2]

栄典

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外国勲章佩用允許

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『日本陸軍将官辞典』216頁。
  2. ^ a b c d 『現代物故者事典 1980〜1982』36頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』448頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』446、449頁。
  5. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、584頁。
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」211頁。
  7. ^ 『官報』第4632号 付録「辞令二」1942年6月20日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。