加藤道雄
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加藤 道雄(かとう みちお、1900年(明治33年)8月29日[1] - 1981年(昭和56年)5月24日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]京都府出身[1][3]。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業[1][4]。同年10月、歩兵少尉に任官した[4]。1931年(昭和6年)11月、陸軍大学校(43期)を卒業した[1][3][5]。
1939年(昭和14年)3月、陸軍大臣秘書官兼副官に就任[3]。1940年(昭和15年)11月、第13軍参謀(作戦主任)に発令され日中戦争に出征[1][3]。1941年(昭和16年)8月、陸軍大佐に進み、同年12月、陸士教官に転じた[3]。
1942年(昭和17年)11月、第8方面軍第2課長に発令され太平洋戦争に出征し、ニューブリテン島ラバウルに赴任した[1][3]。1943年(昭和18年)8月、参謀本部付に転じて帰国。教育総監部庶務課長を経て、1944年(昭和19年)10月、陸軍予備士官学校生徒隊長に就任[3]。1945年(昭和20年)6月、陸軍少将に進んだ[1][3]。同年7月、第30軍参謀長に発令され満州に赴任[1][3]。対ソ防衛戦に参戦して新京で終戦を迎え[1]、シベリア抑留となった[2]。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[6]。
帰国後、日本旅行社取締役総務部長などを務めた[2]。1981年5月、老衰のため京都市の自宅で死去した[2]。
栄典
[編集]- 外国勲章佩用允許
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。