加藤守雄 (陸軍軍人)
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加藤 守雄(かとう もりお、1891年(明治24年)7月28日[1][2] - 1939年(昭和14年)12月19日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]宮城県出身[1]、本籍東京府[2][3]。加藤半三郎・陸軍主計少佐の息子として生れる[1]。仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業[1][2][4]。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第9連隊付となる[1][4]。1920年(大正9年)11月、陸軍大学校(32期)を卒業した[1][2][3]。
1921年(大正10年)7月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、ドイツ駐在、参謀本部付を務め、1927年(昭和2年)12月、歩兵少佐に昇進[1]。陸軍技術本部付兼陸軍省人事局課員、人事局課員を務め、1931年(昭和6年)8月、歩兵中佐に進級し歩兵第34連隊付となる[1]。人事局課員を経て、1935年(昭和10年)8月、歩兵大佐に昇進し人事局補任課長に就任した[1][3]。
1937年(昭和12年)8月、歩兵第34連隊長に転じ、留守第3師団司令部付を経て、1938年(昭和13年)3月、舞鶴要塞司令官に就任し、同年7月、陸軍少将に進級した[1][2][3]。同年12月、仙台陸軍幼年学校長に就任したが、1939年12月、在任中に死去した[1][2][3]。
栄典
[編集]伝記
[編集]- 中山政高編『加藤守雄少将追悼録』仙台陸軍幼年学校、1940年。