服部米次郎
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服部 米次郎(はっとり よねじろう、明治3年12月16日[1](1871年2月5日) – 昭和39年(1964年)7月1日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。大日本帝国陸軍軍人。
経歴
[編集]伊勢国一志郡高茶屋村(現在の三重県津市)出身。1894年(明治27年)7月27日に陸軍士官学校(5期)を卒業し[3]、同年9月18日、砲兵少尉に任官[4]。1898年(明治31年)には陸軍砲工学校普通科・高等科を卒業した[2]。砲兵少佐に昇進し、その間に重砲兵第1連隊大隊長、永興湾要塞司令官を歴任した[5]。1910年(明治43年)、憲兵少佐に転じ、統監府警務部長、朝鮮総督府警務部長を歴任した[2][5]。1918年(大正7年)7月24日に待命となり[4]、1919年(大正8年)、憲兵大佐で予備役に編入された[5]。
その後、高茶屋村長、三重県会議員に選出された[2]。
1936年(昭和11年)、第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正7年9月1日調』陸軍省等、1918年。