東條敏夫
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東條 敏夫 | |
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生誕 |
1925年11月9日 日本 東京府 |
死没 | 2014年10月30日(88歳没) |
所属組織 |
大日本帝国陸軍 航空自衛隊 |
軍歴 |
1943年 - 1945年(帝国陸軍) 1956年 - 1980年(空自) |
最終階級 |
士官候補生たる陸軍軍曹(帝国陸軍) 空将補(空自) |
東條 敏夫(とうじょう としお、1925年(大正14年)11月9日 - 2014年(平成26年)10月30日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。陸士59期[1]。
陸軍大将で内閣総理大臣を務めた東條英機の三男[1]。陸軍士官学校在校中に昭和20年(1945年)の敗戦を迎えた。戦後は航空自衛隊に入り、空将補(空軍少将相当)で退官した[1]。
経歴
[編集]- 1943年(昭和18年)
- 3月:福岡県立福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)4年修了
- 4月:陸軍予科士官学校入校
- 1944年(昭和19年)10月:陸軍士官学校入校(59期)。階級は士官候補生たる陸軍兵長、陸軍伍長、陸軍軍曹。しかし1945年8月に敗戦、戦後は川南工業に勤務
- 1956年(昭和31年)8月:航空自衛隊発足に伴い公募幹部として採用(2等空尉)
- 1972年(昭和47年)7月:1等空佐昇任
- 1974年(昭和49年)9月:航空幕僚監部監理部総務課法務班長
- 1976年(昭和51年)3月16日:第3高射群司令
- 1977年(昭和52年)7月31日:輸送航空団副司令
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)3月16日:航空幕僚監部防衛部施設課長
- 1980年(昭和55年)7月1日:退官
- 1996年(平成 8年)4月29日:勲四等瑞宝章受章
- 2014年(平成26年)10月30日:死去、従四位[2]。