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鈴木辰之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鈴木 辰之助(すずき たつのすけ、1892年明治25年)6月29日[1] - 1944年昭和19年)10月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将(没後進級[1][2])。陸軍士官学校(25期)[2]

経歴

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千葉県海上郡飯岡町(現旭市)出身。1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校を卒業[3]。学者肌の軍人であり、士官学校卒業後に私費でドイツに留学。

1930年(昭和5年)横濱専門学校(現神奈川大学)に配属将校として着任。1939年(昭和14年)3月、歩兵大佐に昇進した[2]1940年(昭和15年)歩兵第33連隊長に就任[1][2]

1944年(昭和19年)9月、連隊はレイテ島に移駐。10月20日、アメリカ軍が上陸を開始すると鈴木は早朝、十字架山(ヒル522・ギンハンダン山)頂上で敵情視察をしていたが敵の砲撃を受け、全身二十六個所に破片を受け負傷した。10月22日、軍旗奉焼ののち拳銃で自決。

連隊長を失った歩兵第33連隊は10月23日夜、パロの町で米軍に斬り込みをしかけ、10月28日ダガミ高原で玉砕した。

脚注

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  1. ^ a b c d 『日本陸軍将官辞典』399頁。
  2. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』347頁。
  3. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』328頁。

参考文献

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  • 飯岡町史(1981年)
  • レイテ戦記大岡昇平
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。