歩兵第33連隊
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歩兵第33連隊 | |
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創設 | 1897年 |
廃止 | 1944年10月23日玉砕 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 名古屋 - 津 |
通称号/略称 | 垣6556 |
上級単位 | 第3師団 - 第16師団 |
最終位置 | フィリピン レイテ島 |
戦歴 | 日露 - シベリア出兵 - 満州事変 - 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第33連隊(ほへいだい33れんたい、歩兵第三十三聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 1897年(明治30年) - 守山に連隊本部を設置、第3師団の隷下に入る
- 1898年(明治31年)3月24日 - 軍旗拝受
- 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍
- 1918年(大正7年)8月 - シベリア出兵に従軍、ペリゾヨフカ付近に展開
- 1919年(大正8年)10月 - 帰還
- 1925年(大正14年) - 宇垣軍縮により第3師団から第16師団に所属変更され、守山から久居(現陸上自衛隊久居駐屯地)に転営
- 1929年(昭和4年) - 奉天に駐屯
- 1931年(昭和6年) - 帰還
- 1934年(昭和9年) - チチハルに駐屯
- 1936年(昭和11年) - 帰還
- 1937年(昭和12年)
- 襄東会戦に参加
- 6月 - 帰還
- 1941年(昭和16年)
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 5月30日 - サマール島にいた第3中隊が玉砕
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 島村干雄 | 1896.9.25 - 1899.8.12 | 中佐、1899.3.大佐 |
2 | 村山邦彦 | 1899.8.16 - 1901.5.23 | |
3 | 寺本龍夫 | 1901.5.23 - 1902.7.18 | 中佐 |
4 | 野口坤之 | 1902.7.18 - 1904.2.17 | 中佐 |
5 | 藤本太郎 | 1904.2.17 - 1905.1.14 | |
6 | 吉岡友愛 | 1905.1.26 - 1905.3.7[1] | 中佐、戦死、大佐特進 |
7 | 香月三郎 | 1906.1.27 - 1909.11.30 | 中佐、大佐昇進 |
8 | 岡野敏彰 | 1909.11.30 - 1915.2.15 | |
9 | 安満欽一 | 1915.2.15 - 1916.8.18 | |
10 | 小島米三郎 | 1916.8.18 - 1918.7.24[2] | |
11 | 河西惟一 | 1918.7.24 - | |
12 | 山本宣一 | 1920.8.10 - | |
13 | 栗田真之助 | 1922.2.8 - | |
14 | 堀吉彦 | 1924.2.4 - | |
15 | 大塚堅之助 | 1926.7.28 - | |
16 | 板垣征四郎 | 1928.3.8 - | |
17 | 村田凱一 | 1929.5.14 - | |
18 | 長岡寿吉 | 1930.8.1 - 1932.8.8[3] | |
19 | 西垣真一 | 1932.8.8 - | |
20 | 及川源七 | 1934.8.1 - | |
21 | 野田謙吾 | 1936.8.1 - | |
22 | 山田嘉蔵 | 1938.1.20 - 1939.5.12 | 戦死 |
23 | 横田豊一郎 | 1939.5.18 - | |
末 | 鈴木辰之助 | 1940.2.2 - 1944.10.23 | 戦死 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』
関連項目
[編集]- 大日本帝国陸軍連隊一覧
- フィリピンの戦い (1941-1942年)
- フィリピンの戦い (1944-1945年)
- レイテ島の戦い
- 津海軍工廠
- アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン - 当連隊への滞在経験がある。
- 第33普通科連隊 - 陸上自衛隊の普通科連隊。敷地と番号を本連隊から受け継ぐ形となっている。