村田凱一
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村田 凱一 | |
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生誕 |
1879年6月26日 日本 山口県 |
死没 | 1969年1月5日(89歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1900年 - 1930年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
村田 凱一(むらた ときいち、1879年(明治12年)6月26日 - 1969年(昭和44年)1月5日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。妻は藤井行徳の娘の曦子[2]。
経歴・人物
[編集]山口県出身[1]。1900年(明治33年)陸軍士官学校第12期卒業[1]。
1925年(大正14年)3月に陸軍歩兵大佐・松本連隊区司令官、1927年(昭和2年)3月に第9師団司令部附(金沢医科大学配属将校)、1929年(昭和4年)5月に歩兵第33連隊長を経て、1930年(昭和5年)8月1日に陸軍少将に昇進と同時に待命、同月29日に予備役に編入した[1][3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。