コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

田内三吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田内三吉

田内 三吉(たのうち さんきち、安政3年2月4日[1]1856年3月10日) - 昭和15年(1940年10月18日[2])は、日本陸軍軍人、最終階級は陸軍少将宮中顧問官。位階勲等は正三位勲一等[3]

人物

[編集]

土佐国土佐郡江ノ口村(現・高知市)出身[3]。銘吾の次男[3]陸軍士官学校(旧2期)を卒業し、1879年明治12年)2月1日、陸軍工兵少尉任官[4]1898年(明治33年)、陸軍工兵少佐陸軍砲工学校教官から東宮武官に転じた[5]1908年(明治41年)6月5日、陸軍少将に昇進するとともに、宮中顧問官に任命され[6]、さらに東宮侍従となった[7]1912年大正元年)、大正天皇の即位とともに侍従となった[8]。翌年には式部官を兼任し[9]1914年(大正3年)からは閑院宮附別当も兼ねた[10]。その後、澄宮御養育掛長を務めた[1]。墓所は多磨霊園

栄典

[編集]
位階
勲章等

家族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 人事興信録 1918.
  2. ^ 『官報』第4138号、昭和15年10月22日。
  3. ^ a b c 高知新聞社 1999, 481頁.
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』57頁。『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治36年7月1日調』766頁。
  5. ^ 『官報』第4590号、明治31年10月15日。
  6. ^ 『官報』第7482号、明治41年6月6日。
  7. ^ 『官報』第7487号、明治41年6月12日。
  8. ^ 『官報』第2号、大正元年8月1日。
  9. ^ 『官報』第156号、大正2年2月7日。
  10. ^ 『官報』第587号、大正3年7月15日。
  11. ^ 『官報』第5920号「叙任及辞令」1903年3月31日。
  12. ^ 『官報』第7460号「叙任及辞令」1908年5月12日。
  13. ^ 『官報』第3259号「叙任及辞令」1923年6月12日。
  14. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  15. ^ a b c d e 田内三吉『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治36年7月1日調』陸軍省、1903年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。ISBN 4875032854