コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

岡田重久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡田 重久
生誕 1871年1月5日
土佐国 香美郡立田村
死没 (1936-08-08) 1936年8月8日(65歳没)
東京市四谷区
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1893 - 1923
最終階級 陸軍中将
指揮 歩兵第1旅団長
台湾第1守備隊司令官
歩兵第40連隊
戦闘 日露戦争
墓所 多磨霊園
テンプレートを表示

岡田 重久(おかだ しげひさ、1871年1月5日明治3年11月15日[1]) - 1936年昭和11年)8月8日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は中将

履歴

[編集]

土佐国香美郡立田村(現・高知県南国市)に生まれた[要出典]1893年(明治26年)7月、陸軍士官学校4期)を卒業[1][2]1894年(明治27年)3月、歩兵少尉に任官[2]1895年(明治28年)5月、歩兵中尉に進級。1899年(明治32年)3月、歩兵大尉に進級。1901年(明治34年)11月、陸軍大学校15期)を卒業[1]1904年(明治37年)8月、歩兵少佐に進級。日露戦争満州軍情報参謀として出征した[要出典]1908年(明治41年)12月、歩兵中佐に進級。

1912年(大正元年)12月、静岡連隊区司令官となり、1913年(大正2年)2月、歩兵大佐に昇進[3]1914年(大正3年)5月、歩兵第40連隊となる[3]第12師団参謀長を経て、1917年(大正6年)8月、少将に進級し台湾第1守備隊司令官に着任[1][3]

1920年(大正9年)8月、歩兵第1旅団長に就任し、1922年(大正11年)8月、中将に進むと同時に待命[1][3]1923年(大正12年)3月、予備役に編入された[1][3]1936年(昭和11年)8月、東京市四谷区[要出典]で死去、享年67。

栄典

[編集]

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』168頁。
  2. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』106、108頁。
  3. ^ a b c d e 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』108頁。
  4. ^ 『官報』第3258号「叙任及辞令」1894年5月12日。
  5. ^ 『陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿』、昭和9年4月1日調。

参考資料

[編集]