コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

林仙之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
林 仙之
生誕 1877年1月5日
日本の旗 日本 熊本県
死没 (1944-05-31) 1944年5月31日(67歳没)
所属組織 日本陸軍
軍歴 1898 - 1934
最終階級 陸軍大将
テンプレートを表示

林 仙之(はやし なりゆき、1877年1月5日 - 1944年5月31日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍大将

経歴

[編集]

熊本県上益城郡朝日村(現・山都町)出身。林兼八の二男として生れる。成城学校陸軍幼年学校を経て、1897年11月、陸軍士官学校(9期)を卒業、翌年6月、歩兵少尉任官。歩兵第13連隊副官、同連隊補充大隊中隊長などを歴任。日露戦争では歩兵第13連隊中隊長として出征した。後備第1師団副官などを経て、日露戦争のため中退した陸軍大学校に復校し、1908年11月、陸大(20期)を卒業。

歩兵第13連隊中隊長、参謀本部員、山口連隊区司令官歩兵第3連隊長、陸軍歩兵学校教育部長、欧州出張などを経て、1923年8月、陸軍少将に進級。歩兵第30旅団長、朝鮮軍参謀長、陸士校長などを歴任し、1927年12月、陸軍中将に進級。教育総監部本部長第1師団長、東京警備司令官などを経て、1934年3月、陸軍大将に進み待命、予備役に編入された。二・二六事件発生に伴い、1937年2月、陸軍高等軍法会議判士を命ぜられ、磯村年陸軍大将らと公判を担った。のち、大日本傷痍軍人協会会長を務めた。

栄典

[編集]
位階
勲章等

親族

[編集]
  • 義父 大迫尚敏陸軍大将
  • 妻大迫フミ
  • 長男 信之
  • 長女 寿美子
  • 二女
  • 三女
  • 四女
  • 五女 淳子
  • 弟 林季彦 大蔵省 東京地方専売局長、東洋火災、第一火災海上、東京火災保険、帝国海上火災各社長、安田保善社理事

脚注

[編集]
  1. ^ 『官報』第358号「叙任及辞令」1928年3月10日。
  2. ^ 『官報』第625号「叙任及辞令」1929年1月31日。
  3. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 熊本教育振興会編『肥後の人物ものがたり』熊本教育振興会、1988年。