草場季喜
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草場 季喜(くさば すえき、1899年(明治32年)12月16日[1][2] - 1963年(昭和38年)5月3日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]滋賀県出身[1][2][注 1]。草場彦輔陸軍少将の息子として生まれる[1]。陸軍中央幼年学校予科、中央幼年学校を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業[1][2][3]。同年12月、工兵少尉に任官し工兵第15大隊付となった[1][3]。1923年(大正12年)12月、陸軍砲工学校高等科(29期、員外学生)を優等で卒業した[4]。1924年(大正13年)4月、陸軍派遣学生として東京帝国大学理学部物理学科に入学し、1927年(昭和2年)3月に卒業した[5][6]。
1928年(昭和3年)4月、陸軍科学研究所員に発令[1]。以後、ドイツ駐在、科学研究所員、陸軍省兵器局課員などを務め、1940年(昭和15年)8月、工兵大佐に昇進し独立工兵第27連隊長(関東軍)に就任し日中戦争に出征した[1][5]。1942年(昭和17年)10月、第9陸軍技術研究所員(登戸研究所)第1科長となり、1944年(昭和19年)8月、陸軍少将に昇進[1][5]。 1945年(昭和20年)9月、陸軍兵器行政本部付となり、同年12月、予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』438頁では東京。