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岩崎初太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩崎 初太郎
生誕 1870年2-3月
日本の旗 日本 東京府
死没 1943年10月15日
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1891年 - 1921年
最終階級 陸軍少将
墓所 多磨霊園
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岩崎 初太郎(いわさき はつたろう、1870年2-3月(明治3年1月) - 1943年昭和18年)10月15日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将功四級[2]

経歴・人物

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東京府出身[1][2]1890年(明治23年)陸軍士官学校第1期卒業[1][2]、ちなみに 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期歩兵科35番/103名で卒業している。翌年、陸軍歩兵少尉に任官する[3]

1904年(明治37年)7月に日露戦争に出征中に重傷を負う[4]。帰朝後、大阪陸軍地方幼年学校長、1907年(明治40年)11月に陸軍歩兵中佐歩兵第62連隊附、1912年(明治45年)3月8日に小倉連隊区司令官を経て、同月11日に陸軍歩兵大佐に進級[2][5]

その後、1913年大正2年)8月に歩兵第68連隊長、1915年(大正4年)8月に陸軍中央幼年学校長を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍少将に昇進し、1920年(大正9年)5月に歩兵第39旅団長を経て、1921年(大正10年)6月に待命、同年9月に予備役に編入した[1]

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d 福川 2001, 109頁.
  2. ^ a b c d 外山 1981, 95頁.
  3. ^ 外山 1981, 91頁.
  4. ^ 梅若 2003, 136頁.
  5. ^ 『官報』第7315号「叙任及辞令」明治40年11月14日。
  6. ^ 『官報』第3199号「叙任及辞令」1894年3月1日。
  7. ^ 『官報』第4341号「叙任及辞令」1897年12月18日。
  8. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  9. ^ 『官報』第8666号「叙任及辞令」1912年5月11日。
  10. ^ 『官報』第539号「叙任及辞令」1914年5月18日。
  11. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 梅若六郎; 鳥越文蔵『梅若実日記』 第7、八木書店、2003年。ISBN 4840696470