岩崎初太郎
表示
岩崎 初太郎 | |
---|---|
生誕 |
1870年2-3月 日本 東京府 |
死没 | 1943年10月15日 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1891年 - 1921年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
墓所 | 多磨霊園 |
岩崎 初太郎(いわさき はつたろう、1870年2-3月(明治3年1月) - 1943年(昭和18年)10月15日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴・人物
[編集]東京府出身[1][2]。1890年(明治23年)陸軍士官学校第1期卒業[1][2]、ちなみに 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期を歩兵科35番/103名で卒業している。翌年、陸軍歩兵少尉に任官する[3]。
1904年(明治37年)7月に日露戦争に出征中に重傷を負う[4]。帰朝後、大阪陸軍地方幼年学校長、1907年(明治40年)11月に陸軍歩兵中佐・歩兵第62連隊附、1912年(明治45年)3月8日に小倉連隊区司令官を経て、同月11日に陸軍歩兵大佐に進級[2][5]。
その後、1913年(大正2年)8月に歩兵第68連隊長、1915年(大正4年)8月に陸軍中央幼年学校長を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍少将に昇進し、1920年(大正9年)5月に歩兵第39旅団長を経て、1921年(大正10年)6月に待命、同年9月に予備役に編入した[1]。
栄典
[編集]- 位階
- 1894年(明治27年)2月28日 - 従七位[6]
- 1897年(明治30年)12月15日 - 正七位[7]
- 1907年(明治40年)12月27日 - 正六位[8]
- 1912年(明治45年)5月10日 - 従五位[9]
- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b c d 福川 2001, 109頁.
- ^ a b c d 外山 1981, 95頁.
- ^ 外山 1981, 91頁.
- ^ 梅若 2003, 136頁.
- ^ 『官報』第7315号「叙任及辞令」明治40年11月14日。
- ^ 『官報』第3199号「叙任及辞令」1894年3月1日。
- ^ 『官報』第4341号「叙任及辞令」1897年12月18日。
- ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
- ^ 『官報』第8666号「叙任及辞令」1912年5月11日。
- ^ 『官報』第539号「叙任及辞令」1914年5月18日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 梅若六郎; 鳥越文蔵『梅若実日記』 第7、八木書店、2003年。ISBN 4840696470。