岩切秀
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岩切 秀 | |
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生誕 |
1892年2月4日 日本 鹿児島県 |
死没 | 1971年2月7日(79歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
岩切 秀(いわきり ひで、1892年(明治25年)2月4日[1] - 1971年(昭和46年)2月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]。旧姓は前原[2]。
経歴
[編集]1892年(明治25年)に鹿児島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期卒業[1]。1938年(昭和13年)に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、1939年(昭和14年)に歩兵第80連隊長に就任[2]。1939年(昭和15年)に第7師団参謀長[2]、1941年(昭和16年)陸軍歩兵学校教導連隊長を歴任し[2]、1942年(昭和17年)に陸軍少将に進級し[2]、仙台陸軍教導学校長に着任[1]。
1943年(昭和18年)に歩兵第69旅団長に転じ、中国戦線に出動[1]。揚州の警備に当たり[1]、1944年(昭和19年)には支那派遣軍歩兵教育隊長に転じた[1]。1945年(昭和20年)4月15日に陸軍歩兵学校附を経て[3]、4月30日に陸軍中将に進級し[2]、第206師団長に親補される[1]。鹿児島県日吉町吹上浜で連合国軍の上陸に備え、終戦を迎えた[1]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
[編集]- 勲章
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。