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長谷川猪三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長谷川 猪三郎
生誕 1871年11月17日
日本の旗 日本 兵庫県
死没 不明
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1892年 - 1923年
最終階級 陸軍少将
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長谷川 猪三郎(はせがわ いさぶろう、1871年11月17日明治4年10月5日[1] - 没年不明[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級爵位は従三位勲三等功四級伯爵[3]

経歴・人物

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兵庫県平民の鈴木和[注釈 1]の長男として生まれ、1893年(明治26年)9月に子爵(のち元帥陸軍大将伯爵)長谷川好道の養嗣子となる[1]1892年(明治25年)陸軍士官学校第3期卒業[2][4]

歩兵第12旅団副官、軍事参議院副官、陸軍省人事局課員、近衛歩兵第1連隊大隊長を経て、1914年大正3年)8月に佐倉連隊区司令官に任官し、さらに翌年の11月に陸軍歩兵大佐に昇進した[1][4]

その後、1916年(大正5年)4月に歩兵第3連隊長、1919年(大正8年)7月に陸軍少将・歩兵第32旅団長を経て、1922年(大正11年)8月に待命となり、1923年(大正12年)3月に予備役1930年(昭和5年)4月に後備役に編入された[2][4][5]

養父の死去に伴い、1924年(大正13年)3月15日に伯爵を襲爵した[6]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]

栄典

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位階
勲章等

著作

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  • 『歴史の話』世界思潮研究会、1924年。

親族

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  • 前妻:長谷川かつ(1878-1916)(長谷川好道の娘)[11]
  • 後妻:長谷川トヨ(男爵外科医佐藤達次郎の従妹)[3]
  • 長男:長谷川東吉(1895-1961)[12]
  • 長女:木梨芳子(男爵・木梨彜亮の妻)[3]
  • 三女:門脇文子(実業家・衆議院議員門脇勝太郎の妻、離縁)[3][12]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録』第8版、『平成新修旧華族家系大成』下巻では鈴木氏知。

出典

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  1. ^ a b c 『人事興信録』第5版、は92頁
  2. ^ a b c 『日本陸軍将官辞典』574頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録』第8版、ハ31頁
  4. ^ a b c 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』105頁。
  5. ^ 『陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿』、昭和6年4月1日調。
  6. ^ 『官報』第3467号、大正13年3月17日
  7. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
  8. ^ 『官報』第3717号「叙任及辞令」1895年11月16日。
  9. ^ 『官報』第4164号「叙任及辞令」1940年11月21日。
  10. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  11. ^ 『大正過去帳 : 物故人名辞典』(東京美術、1973年)p.80
  12. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻、361頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録』第5版、人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。


日本の爵位
先代
長谷川好道
伯爵
長谷川(好道)家2代
1924年 - 1947年
次代
華族制度廃止