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樋口清登

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
樋口 清登
生誕 1890年2月21日
日本の旗 日本 山口県
死没 (1969-07-27) 1969年7月27日(79歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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樋口 清登(ひぐち きよと、1890年明治23年)2月21日 - 1969年昭和44年)7月27日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将功四級[2]

経歴・人物

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山口県出身[1]1911年(明治44年)陸軍士官学校第23期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[1][3]

1939年(昭和14年)3月に陸軍歩兵大佐父島要塞司令官、1941年(昭和16年)1月に甲府連隊区司令官を経て、1945年(昭和20年)3月に歩兵第86旅団長(支那派遣軍第12軍第115師団)に任官[1][2]。周家口に駐屯した[1]。同年6月10日、陸軍少将に昇進し、間もなく終戦を迎えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』606頁。
  2. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』306頁。
  3. ^ 『官報』第8557号、明治44年12月27日。
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」22頁。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。