樋口清登
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樋口 清登 | |
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生誕 |
1890年2月21日 日本 山口県 |
死没 | 1969年7月27日(79歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
樋口 清登(ひぐち きよと、1890年(明治23年)2月21日 - 1969年(昭和44年)7月27日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴・人物
[編集]山口県出身[1]。1911年(明治44年)陸軍士官学校第23期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[1][3]。
1939年(昭和14年)3月に陸軍歩兵大佐・父島要塞司令官、1941年(昭和16年)1月に甲府連隊区司令官を経て、1945年(昭和20年)3月に歩兵第86旅団長(支那派遣軍、第12軍、第115師団)に任官[1][2]。周家口に駐屯した[1]。同年6月10日、陸軍少将に昇進し、間もなく終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。