権藤正威
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権藤 正威 | |
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生誕 |
1902年7月14日 大日本帝国 福岡県 |
死没 |
1943年6月24日 モロッコ沖 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
最終階級 | 陸軍少将 |
権藤 正威(ごんどう まさたけ、1902年7月14日[1] - 1943年6月24日)は、日本の陸軍軍人である。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]福岡県出身[1]。陸軍士官学校の第35期生、陸軍大学校の第47期生だった権藤は、1940年12月に山下奉文陸軍中将とともにドイツへ軍事視察に行った。翌1941年、権藤は駐在武官補佐官としてイタリアへ異動した。
日本が太平洋戦争へ突入すると、日本は同盟国であるドイツやイタリアとともに遣独潜水艦作戦、遣日潜水艦作戦を発動する。1943年6月にイタリアから日本に向けて行われた遣日作戦において、権藤はイタリア海軍の潜水艦バルバリーゴへ乗艦したが、1943年6月24日にイギリスの哨戒機の攻撃に遭いバルバリーゴは沈没、権藤も戦死した。死後少将に昇格した。
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。