宮地久寿馬
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宮地 久寿馬(みやぢ くすま、1872年12月25日〈明治5年11月25日〉 - 1945年9月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
履歴
[編集]1872年(明治5年)、高知城下大川筋(現在の高知市)に生まれた。海南中学校(現在の高知県立高知小津高等学校)を経て、1894年(明治27年)7月、陸軍士官学校(5期)を卒業。同年9月、歩兵少尉に任官。1902年(明治35年)11月、陸軍大学校(16期)を卒業した。
堺連隊区司令官などを経て、1915年(大正4年)8月、歩兵大佐に昇進し歩兵第68連隊長に就任。1917年(大正6年)8月、第1師団参謀長となり、中支那派遣隊司令官に転じ、1919年(大正8年)4月、陸軍少将に進級。1920年(大正9年)8月、歩兵第12旅団長に就任し、近衛歩兵第1旅団長を経て、1924年(大正13年)2月、陸軍中将に進み旅順要塞司令官に着任。同年8月、陸軍士官学校長に転じ、1926年(大正15年)3月、第14師団長に親補された。1929年(昭和4年)8月に待命となり、同月、予備役編入となった。
退役後は土陽会副会長、土佐協会評議員兼理事長などを務めた。1945年(昭和20年)9月、栃木県で死去。
栄典
[編集]- 位階
- 1924年(大正13年)3月29日 - 従四位[1]
- 1926年(大正15年)4月15日 - 正四位[2]
- 1929年(昭和4年)5月2日 - 従三位[3]
- 1929年(昭和4年)9月30日 - 正三位[4]
- 勲章
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。