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高知県立高知小津高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高知県立高知小津高等学校
地図北緯33度33分50.3秒 東経133度31分35.1秒 / 北緯33.563972度 東経133.526417度 / 33.563972; 133.526417座標: 北緯33度33分50.3秒 東経133度31分35.1秒 / 北緯33.563972度 東経133.526417度 / 33.563972; 133.526417
過去の名称 海南私塾分校
海南学校
高知県私立中学海南学校
高知県尋常中学海南学校
高知県立中学海南学校
高知県立海南中学校
高知県立海南高等学校
高知県立城北高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 高知県の旗 高知県
併合学校 高知県立城北中学校
設立年月日 1873年
開校記念日 11月11日
創立者 山内豊範
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
理数科
学期 3学期制
学校コード D139210000109 ウィキデータを編集
高校コード 39115J
所在地 780-0916
高知県高知市城北町1番14号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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高知県立高知小津高等学校(こうちけんりつ こうちおづこうとうがっこう、Kochi Prefectural Kochi Ozu High School)は、高知県高知市城北町にある県立高等学校

1873年明治6年)に開校した海南私塾を前身とし、高知県で最も古い歴史を持つ高等学校である。2023年令和5年)に創立150周年を迎えた。

設置学科

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沿革

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高知県指定文化財の開成門

旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代

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  • 1873年(明治6年)8月 - 旧土佐藩主・山内豊範により、東京日本橋箱崎町の山内家邸内に海南私塾が創立される。西洋式の2階建て校舎であった。
  • 1876年(明治9年)2月 - 高知県の山内邸内長屋(現:高知市鷹匠町一丁目 / 三翠園武家屋敷)に海南私塾分校が開校。
  • 1879年(明治12年)12月 - 分校が帯屋町へ移転。
  • 1880年(明治13年)9月 - 分校が九反田の旧・開成館[1]跡に移転。
  • 1881年(明治14年)7月 - 学校事務総官に谷干城が就任。
  • 1882年(明治15年)6月 - 東京の本校を廃止し、分校に統合の上、海南学校と改称。初代校長に吉田数馬が就任。
  • 1883年(明治16年)- 制服・制帽を制定。帽章は山内家の家紋である三つ柏
  • 1888年(明治21年)9月 - 高知県私立中学海南学校と改称。
  • 1889年(明治22年)4月 - 県立に移管され高知県尋常中学海南学校と改称。
  • 1896年(明治29年)- 校舎を新築。
  • 1899年(明治32年)9月 - 高知県立第二中学校を併設。
  • 1901年(明治34年)1月 - 高知県立中学海南学校と改称。
  • 1912年(明治45年)4月1日 - 高知県立第二中学校が廃止され、高知県立第一中学校に統合される。これにより併設を解消。
  • 1917年大正6年)5月 - 初の県外修学旅行を実施。
  • 1922年(大正11年)4月1日 - 高知県立城北中学校を併設。初代校長に村上俊江が就任。
  • 1931年昭和6年)6月 - 高知県立城北中学校を統合。
  • 1932年(昭和7年)
    • 5月 - 現在地に移転。
    • 10月 - 高知県立海南中学校と改称。
  • 1936年(昭和11年)7月 - 海南中学校同窓会を設立。
  • 1939年(昭和14年)- 校歌(旧校歌)を制定。
  • 1940年(昭和15年)11月 - 九反田の開成門を海南中学校校門として移転。
  • 1944年(昭和19年)3月 - 学区制・綜合制の採用により、城東中学校合同募集を開始。
  • 1945年(昭和20年)7月4日 - 高知大空襲により体育館と柔剣道場を焼失。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
    • 旧制中学校の生徒募集を停止。
    • 新制中学校を併設(以下「併設中学校」)し、旧制中学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として併設中学校に収容。
    • 併設中学校は暫定的に設置されたもので、新たに生徒募集は行わず、在校生は旧制中学から収容された2・3年生だけであった。
    • 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学4・5年となる。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校は廃止され、新制高等学校高知県立海南高等学校(男子校)が発足。通信課程を併設。
    • 旧制中学校の卒業生(希望者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生として編入。併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。
    • 併設中学校は存続され、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生だけとなる。
  • 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。

新制高等学校(男女共学)

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  • 1949年(昭和24年)
    • 7月 - 高校三原則に基づく高知県内公立高校再編により、高知県立城北高等学校に改称し、男女共学を開始。
    • 12月 - 高知県立高知小津高等学校(現校名)と改称。
  • 1950年(昭和25年)6月 - 新校章・バッジを制定。
  • 1954年(昭和29年)- 新校歌(現校歌)を制定。
  • 1955年(昭和30年)3月 - 校を制定。
  • 1961年(昭和36年)6月 - 体育館が完成。
  • 1963年(昭和38年)12月 - 新図書館が完成。
  • 1965年(昭和40年)- 補助グラウンドを造成。
  • 1968年(昭和43年)4月1日 - 理数科を設置。
  • 1969年(昭和44年)8月 - 開成館・開成門の移転復元工事が完成。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 - 通信制課程が分離し、高知県立高知追手前高等学校定時制課程と統合の上、高知県立高知北高等学校として独立。
  • 1973年(昭和48年)
    • 3月 - 理科棟(第1期工事)が完成。
    • 11月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1974年(昭和49年)3月 - 理科棟(第2期工事)、格技場、プール及び附属建物が完成。
  • 1979年(昭和54年)6月 - 東別館(食堂・音楽室・視聴覚教室)、自転車置き場が完成。
  • 1981年(昭和56年)11月 - 楽焼き場が完成。
  • 1983年(昭和58年)3月 - 開成館が寄付される。東別館増改築(第1期工事)が完成。
  • 1984年(昭和59年)3月 - 東別館増改築工事(第2期工事)が完成。
  • 1989年(平成元年)10月 - 理科棟の改修工事が完成。
  • 1996年(平成8年)
    • 10月 - 仮設校舎の第1期工事が完成。
    • 11月 - 本館東及び東別館西などを解体。
  • 1997年(平成9年)
    • 3月 - 仮設校舎の第2期工事が完成。
    • 10月 - 本館西、理科棟、プール、挌技場を解体。
  • 1998年(平成10年)
    • 1月 - 体育館、開成館を解体。
    • 3月 - 東館が完成。
    • 8月 - 東館6階を高知市よさこい花火大会鑑賞のため市民に開放。
  • 1999年(平成11年)
    • 3月 - 西館、中館(保存棟)、体育館、芸術棟が完成。
    • 4月 - プール、弓道場、駐輪場が完成。
    • 7月 - 部室棟が完成。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月 - 外溝庭園工事が完成。
    • 7月 - グラウンド、テニスコートの整備工事が完了。
  • 2001年(平成13年)10月 - テニスコート夜間照明設備工事が完成。
  • 2002年(平成14年)4月 - 文部科学省により、スーパーサイエンスハイスクールに指定される。
  • 2007年(平成19年)
    • 3月 - オーストラリアの旗ドンカレッジ(オーストラリア)と姉妹校締結。
    • 4月 - スーパーサイエンスハイスクールに再び指定される(研究開発期間5年)。

行事

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  • 若鳩祭
  • 開校記念日(11月11日)

著名な出身者

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軍人
学者・教育者
政治・行政・経済
文化・芸能・スポーツ

交通アクセス

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最寄りのバス停
とさでん交通 新屋敷
最寄り駅
JR四国 土讃線入明駅または円行寺口駅

脚注

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  1. ^ 土佐藩が設けた出先機関。富国強兵を目的とし、技術教育、軍艦局、貨幣局、火薬局などが設置されていたが、廃藩置県により廃止された。

関連項目

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外部リンク

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