小牧自然
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生誕 |
1876年3月22日 日本・高知県安芸市 |
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死没 | 1939年6月7日(63歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1897年 - 1939年 |
最終階級 | 海軍少将 |
除隊後 | 赤坂区区議会議員 |
墓所 | 青山霊園 |
小牧 自然(こまき じねん、1876年(明治9年)3月22日 - 1939年(昭和14年)6月7日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。
履歴
[編集]高知県安芸郡土居村(現・安芸市)に生まれる。海南中学校を経て、1897年(明治30年)12月、海軍兵学校(25期)を卒業し、1899年(明治32年)2月、海軍少尉任官。日露戦争には「常磐」分隊長として出征し、さらに「平壌丸」「厳島」の各航海長を歴任した。1909年(明治42年)5月、海軍大学校(甲種6期)を卒業し「吾妻」航海長に就任。
1909年10月、「香取」航海長心得となり、呉鎮守府参謀兼望楼監督官、海軍省軍務局局員兼教育本部員(二部)、「出雲」副長心得を歴任。1912年(大正元年)12月、海軍中佐に昇進し「出雲」副長に就任。1913年(大正2年)11月、海軍省出仕となり、練習艦隊参謀、教育本部員、兼軍務局局員(一課)などを経て、1915年(大正4年)12月、「千代田」艦長となる。
1915年(大正4年)12月、海軍大佐に進級し「日進」艦長に着任。以後、軍務局第二課長、初代「陸奥」艦長、軍令部出仕などを歴任し、1921年(大正10年)12月、海軍少将に進み軍令部参謀(第二班長)に就任。軍令部出仕を経て1923年(大正12年)12月、待命となり、1924年(大正13年)2月、予備役編入となった。
退官後、赤坂区の区議会議員を務めた。1939年(昭和14年)没、64歳。
栄典
[編集]- 1899年(明治32年)3月10日 - 正八位[1]
- 1900年(明治33年)12月8日 - 従七位[2]
- 1907年(明治40年)11月30日 - 従六位[3]
- 1913年(大正2年)2月10日 - 正六位[4]
- 1916年(大正5年)12月28日 - 従五位[5]
- 1922年(大正11年)1月20日 - 正五位[6]
- 勲章等
- 1904年(明治37年)1月29日 - 勲六等瑞宝章[7]
- 1915年(大正4年)11月7日 - 勲三等瑞宝章・大正三四年従軍記章[8]
- 1920年(大正9年)11月1日 - 戦捷記章[9]
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[10]
脚注
[編集]- ^ 『官報』第705号「叙任及辞令」1899年3月11日。
- ^ 『官報』第5233号「叙任及辞令」1900年12月10日。
- ^ 『官報』第3729号「叙任及辞令」1907年12月2日。
- ^ 『官報』第159号「叙任及辞令」1913年2月12日。
- ^ 『官報』第1324号「叙任及辞令」1916年12月29日。
- ^ 『官報』第2839号「叙任及辞令」1922年1月21日。
- ^ 『官報』第6426号「叙任及辞令」1904年11月30日。
- ^ 『官報』第1222号・付録「叙任及辞令」1916年8月25日。
- ^ 『官報』第2978号「叙任及辞令」1922年7月6日。
- ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
参考資料
[編集]- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第10巻、発売:第一法規出版、1995年。