安達十六
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安達 十六 | |
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生誕 |
1883年1月18日 千葉県 |
死没 | 1964年4月6日(81歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1902 - 1934 |
最終階級 | 陸軍少将 |
指揮 |
舞鶴要塞司令官 近衛野砲連隊長 |
安達 十六(あだち じゅうろく、1883年(明治16年)1月18日 - 1964年4月6日)は、日本の陸軍軍人。舞鶴要塞司令官を務め、階級は陸軍少将に至る。陸軍教授安達松太郎の子で、弟に安達十九陸軍中将・第18軍司令官安達二十三陸軍中将が、義理の叔父に陸軍大臣石本新六陸軍中将男爵がいる。石本寅三陸軍中将・石本五雄陸軍少将は従兄弟。
経歴
[編集]千葉県に生まれ、陸軍士官学校に学び1902年11月22日卒業する。1903年6月26日陸軍砲兵少尉に任官する。士官候補生第14期の安達の同期には古荘幹郎大将・西尾寿造大将・山田乙三大将らがいる。安達は以後砲兵将校として累進、1928年8月10日陸軍砲兵大佐に進級し、陸軍兵器本廠附を命ぜられる。1930年3月6日から第4師団野砲兵第4連隊長に移り、1932年4月11日から近衛野砲連隊長に就任する。1933年8月1日陸軍少将・舞鶴要塞司令官を経て1934年8月1日待命、同年9月30日予備役編入となる。1942年4月、第21回衆議院議員総選挙に石川県第1区から非推薦で出馬したが落選した[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[2]。