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野沢悌吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野沢 悌吾
生誕 1870年5月6日
日本の旗 日本 新潟県、のちの小千谷市
死没 (1945-08-05) 1945年8月5日(75歳没)
日本の旗 日本 東京都立川市
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1891年 - 1919年
最終階級 陸軍少将
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野沢 悌吾(野澤 悌吾、のざわ ていご、1870年5月6日明治3年4月6日[1][2]〉 - 1945年昭和20年〉8月5日[2][3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等[4]

経歴

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新潟県平民・野澤瀧右衛門の長男として生まれ、1901年(明治34年)2月に家督を相続した[5]

1891年(明治24年)陸軍士官学校第2期卒業[1][6]1899年(明治32年)陸軍大学校第13期卒業[1][6]

1904年(明治37年)3月、袁世凱に招聘されに渡る[5]1910年(明治43年)11月に陸軍歩兵大佐歩兵第30連隊長、1912年(大正元年)11月に第2師団参謀長を経て、1916年(大正5年)4月に陸軍少将・歩兵第14旅団長に任官[1][6]シベリア出兵では旅団長として満州里に軍を展開し、居留民の保護に当たった[1]

1918年(大正7年)7月に待命、1919年(大正8年)1月に予備役に、1929年(昭和4年)4月に後備役に編入した[1][6]

著作

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  • 『歩兵操典法則及原則一覧表』川流堂、1914年。
  • 講『思想問題大観 : 西洋文明の批判 中編』直心寮、1921年。
  • 講『思想問題と日蓮主義 : 東洋文明の真価 上編』直心寮、1921年。

訳書

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  • クライスト 著『捜索勤務』軍事教育会、1902年。
  • エル・フォン・ブリーゼン 著『歩兵戦闘展開』軍事教育会、1902年。

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』564頁。
  2. ^ a b 岩下 1982, 118頁.
  3. ^ 小千谷市文化財協会 1984, 179頁.
  4. ^ a b c d 『陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿』、昭和6年4月1日調。
  5. ^ a b 『人事興信録』第4版、の17頁。
  6. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』99頁。

参考文献

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