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渡辺兼二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺兼二
わたなべ けんじ
生年月日 1866年2月11日
出生地 日本の旗 日本 越後国蒲原郡一ノ木戸村
(現・新潟県三条市
没年月日 (1928-12-09) 1928年12月9日(62歳没)
出身校 陸軍大学校卒業
前職 陸軍少将
称号 正八位
親族 娘婿・松岡平市(参議院議員)

官選 新潟市長
在任期間 1919年9月22日 - 1921年9月10日
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渡辺 兼二(渡邉、わたなべ けんじ、1866年2月11日慶応元年12月26日[1]〉 - 1928年昭和3年〉12月9日[2])は、日本の陸軍軍人政治家。最終階級は陸軍少将新潟市長

経歴

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越後国蒲原郡一ノ木戸村(現新潟県三条市)で渡辺正友の二男として生まれる[3][4]1885年12月、陸軍教導団砲兵科に入団[1]1890年7月26日、陸軍士官学校(1期)を卒業、ちなみに 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期を工兵科1番/8名で卒業している。1891年3月26日、陸軍工兵少尉に任官し工兵第1大隊附となる[1]

日清戦争に工兵第1大隊第2中隊小隊長として出征[1]1895年11月、陸軍砲工学校(3期)を優等で卒業[5]陸軍大学校(13期)で学び、1899年12月21日に優等で卒業した[6]日露戦争に臨時軍用鉄道監部部員として出征[1]

以後、韓国駐箚軍参謀近衛工兵大隊付、工兵第17大隊長、鉄道連隊長、兼陸軍技術審査部御用掛、兼陸軍技術審査部議員、陸軍技術審査部審査官などを歴任[1][7]1915年8月10日に待命となり、同年10月15日、陸軍少将に昇進と同時に予備役編入となった[1][7]。その後、千葉県千葉郡千葉町(現千葉市)に居住し青年の指導に当った[3]

1919年9月22日、新潟市長に就任し、1921年9月10日に市長を退任した[3]

栄典

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 「渡辺兼二新潟県新潟市長就任ノ件」
  2. ^ 『日本陸軍将官辞典』809頁。
  3. ^ a b c 『日本の歴代市長』第2巻、48頁。
  4. ^ a b 『人事興信録』第5版、ワ26-27頁。
  5. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、636頁。
  6. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、549頁。
  7. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』96頁。
  8. ^ 『官報』第2576号「叙任及辞令」1892年2月4日。
  9. ^ 人事興信所編『人事興信録』第13版 下、1941年、マ76頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第5版、1918年。
  • 内閣「渡辺兼二新潟県新潟市長就任ノ件」大正8年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-019-00・任B00898100