古海厳潮
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古海 厳潮(ふるみ いずしお、1865年10月30日(慶応元年9月11日) - 1938年8月7日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]愛媛県出身。1887年(明治20年)7月、陸軍士官学校(旧9期)を卒業し歩兵少尉に任官。1891年(明治24年)11月、陸軍大学校に入学するが、日清戦争開戦のため1894年(明治27年)7月に中退。戦後、1896年(明治29年)2月、陸大に復校し、1896年(明治29年)3月、陸大(10期)を優等で卒業。参謀本部第3部に配属された。
日露戦争に出征。1905年(明治38年)1月、鴨緑江軍参謀となり、奉天会戦などに参戦した。1907年(明治40年)7月、第5師団参謀長に就任し、同年11月、歩兵大佐に昇進。
1909年(明治42年)11月、第18師団参謀長に移る。1912年(明治45年)4月、陸軍少将に進級し歩兵第36旅団長となる。1914年(大正3年)4月、朝鮮駐剳軍参謀長に異動。1916年(大正5年)4月、朝鮮駐剳憲兵司令官となり、朝鮮総督府警務総長を兼務した。
1916年8月、陸軍中将に進んだ。1918年(大正7年)7月、第17師団長に親補された。1921年(大正10年)7月、予備役編入となった。
栄典
[編集]- 位階
- 1890年(明治23年)10月15日 - 正八位[1]
- 1892年(明治25年)1月27日 - 従七位[2]
- 1897年(明治30年)2月10日 - 正七位[3]
- 1902年(明治35年)4月11日 - 従六位[4]
- 1905年(明治38年)4月7日 - 正六位[5]
- 1907年(明治40年)12月27日 - 従五位[6]
- 1916年(大正5年)9月11日 - 従四位[7]
- 1918年(大正7年)10月10日 - 正四位[8]
- 1921年(大正10年)8月19日 - 従三位[9]
- 勲章等
脚注
[編集]- ^ 『官報』第2193号「叙任及辞令」1890年10月20日。
- ^ 『官報』第2571号「叙任及辞令」1892年1月28日。
- ^ 『官報』第4081号「叙任及辞令」1897年2月12日。
- ^ 『官報』第5628号「叙任及辞令」1902年4月12日。
- ^ 『官報』第6531号「叙任及辞令」1905年4月12日。
- ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
- ^ 『官報』第1236号「叙任及辞令」1916年9月12日。
- ^ 『官報』第1858号「叙任及辞令」1918年10月11日。
- ^ 『官報』第2717号「叙任及辞令」1921年8月20日。
- ^ 『官報』第5824号「叙任及辞令」1902年12月1日。
- ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。