西川虎次郎
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西川 虎次郎(にしかわ とらじろう、1867年9月28日(慶応3年9月1日) - 1944年8月18日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]福岡県出身。西川与一の二男として生れる。1889年(明治22年)7月、陸軍士官学校(旧11期)を卒業、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第2連隊付となる。1891年(明治24年)1月、陸軍戸山学校を卒業。1897年(明治30年)12月、陸軍大学校(11期)を卒業した。日清戦争出征のため、陸大を一時中退し戦後に復校している。1899年(明治32年)6月、参謀本部員となり、1900年(明治33年)には2月から5月、10月から12月と二度清国に派遣された。1902年(明治35年)2月、陸大教官を兼務。同年3月、イギリスに派遣された。
日露戦争では、大本営兵站監部参謀となり、1905年(明治38年)1月、鴨緑江軍参謀として出征。さらに遼東兵站監部参謀長を務めた。同年11月、関東総督府参謀となり、陸大教官、第3師団参謀長などを経て、1913年(大正2年)3月、陸軍少将に進級。歩兵第19旅団長、関東都督府参謀長、参謀本部第4部長を歴任。1917年(大正6年)8月、陸軍中将となり、陸軍歩兵学校長を経て、1918年(大正7年)7月、第13師団長に親補されシベリア出兵に従軍。次いで第1師団長に就任。1922年(大正11年)8月、待命となり、翌年3月、予備役に編入された。
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 1892年(明治25年)2月3日 - 正八位[1]
- 1907年(明治40年)12月27日 - 従五位[2]
- 1913年(大正2年)1月30日 - 正五位[3]
- 1917年(大正6年)8月30日 - 従四位[4]
- 1919年(大正8年)9月20日 - 正四位[5]
- 1923年(大正12年)4月20日 - 従三位[6]
- 勲章
- 1895年(明治28年)12月20日 - 勲六等瑞宝章・功五級金鵄勲章[7]
- 1915年(大正4年)11月7日 - 旭日重光章[8]
- 1916年(大正5年)5月26日 - 勲一等瑞宝章[9]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[10]
親族
[編集]著書
[編集]- 『西伯利亜出征私史』偕行社、1925年。
脚注
[編集]- ^ 『官報』第2576号「叙任及辞令」1892年2月4日。
- ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
- ^ 『官報』第150号「叙任及辞令」1913年1月31日。
- ^ 『官報』第1526号「叙任及辞令」1917年9月1日
- ^ 『官報』第2141号「叙任及辞令」1919年9月22日。
- ^ 『官報』第3215号「叙任及辞令」1923年4月21日。
- ^ 『官報』第3749号「叙任及辞令」1895年12月25日。
- ^ 『官報』第1128号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
- ^ 『官報』第2346号「叙任及辞令」1920年5月29日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。