松本鼎 (陸軍軍人)
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松本 鼎(まつもと かなえ、1856年2月10日(安政3年1月5日) - 1928年1月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]島根県出身。1878年(明治11年)12月、陸軍士官学校(旧2期)を卒業し、翌年2月、砲兵少尉任官。1901年(明治34年)2月、野戦砲兵第12連隊長に就任。1902年(明治35年)11月、砲兵大佐に昇進した。
1903年(明治36年)5月、陸軍野戦砲兵射撃学校長となり、1904年(明治37年)2月、第1軍砲兵部長に発令され日露戦争に出征。1906年(明治39年)7月、野戦砲兵第10連隊長に異動し、1907年(明治40年)11月、陸軍少将に進級し野戦砲兵第3旅団長となった。
1912年(明治45年)7月、野戦砲兵第1旅団長に発令され、1913年(大正2年)7月、陸軍中将に進み東京湾要塞司令官に就任した。1914年(大正3年)5月に待命となり、同年8月、予備役に編入された。1919年4月1日、後備役となる[1]。
栄典
[編集]- 位階
- 1903年(明治36年)2月20日 - 従五位[2]
- 1907年(明治40年)12月27日 - 正五位[3]
- 1913年(大正2年)1月30日 - 従四位[4]
- 1914年(大正3年)9月1日 - 正四位[5]
- 勲章等
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。