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片山省太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

片山 省太郎(かたやま しょうたろう、1889年明治22年)6月14日[1][2] - 1982年昭和57年)1月18日[1][2])は、日本の陸軍軍人陸軍司政長官。最終階級は陸軍中将

経歴

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和歌山県出身[1][2][3]。片山三郎の長男として生まれる[1]。1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第61連隊付となる[1][4]。1918年(大正7年)11月、陸軍大学校(30期)を卒業した[1][2][3]

1919年(大正8年)4月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員を経て、1921年(大正10年)5月、サガレン州派遣軍司令部付となりシベリア出兵に出征[1]。参謀本部付、参謀本部員を経て、1926年(大正15年)3月、歩兵少佐に昇進し歩兵第13連隊付となる[1]。同連隊大隊長、近衛師団参謀、参謀本部員を務め、1930年(昭和5年)8月、歩兵中佐に進級[1]。1931年(昭和6年)9月、歩兵第39旅団参謀に就任し、歩兵第47連隊付、第6師団留守参謀、歩兵第13連隊付、第2師団司令部付(東北帝国大学配属)を務め、1934年(昭和9年)8月、歩兵大佐に昇進した[1][3]

1935年(昭和10年)3月、歩兵第25連隊長に就任[1][3]陸軍戸山学校幹事、留守第16師団参謀長を経て、1938年(昭和13年)3月、陸軍少将に進級し歩兵第15旅団長に就任[1][2][3]。1940年(昭和15年)2月、独立混成第4旅団長に発令され日中戦争に出征[1][2][3]百団大戦中原会戦などに参戦[2]。1940年12月、陸軍中将に進み、1941年(昭和16年)10月、中部軍司令部付となり、同月[注 1]予備役に編入された[2][3]

1942年(昭和17年)3月、第25軍軍政部の陸軍司政長官[2][3]となりペナン州長官に就任し、1943年(昭和18年)4月、セランゴール州長官に転じて終戦を迎えた[1]。1946年(昭和21年)3月に復員した[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

栄典

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位階
勲章等

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、46頁では11月。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『日本陸海軍総合事典』第2版、46頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『日本陸軍将官辞典』210頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』277頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』271、277頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」53頁。
  6. ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。
  7. ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
  8. ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
  9. ^ 『官報』第3534号「叙任及辞令」1924年6月5日。
  10. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。