本郷忠夫
本郷 忠夫(ほんごう ただお、1899年(明治32年)10月16日[1][2] - 1943年(昭和18年)7月3日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]兵庫県出身[1][2][3]。陸軍大将・本郷房太郎の三男として生まれる[1]。陸軍中央幼年学校予科、中央幼年学校本科を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業[1][2][4]。同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第14連隊付となる[1][4]。1933年(昭和8年)11月、陸軍大学校(45期)を卒業し騎兵第14連隊中隊長に就任[1][2][3]。
1934年(昭和9年)12月、参謀本部付勤務となり、1935年(昭和10年)8月、騎兵少佐に進級[1]。同年12月、参謀本部員に就任し、1936年(昭和11年)4月、参謀本部付(上海・長沙駐在)となる[1]。1937年(昭和12年)8月、上海派遣軍参謀に発令され第一次上海事変に出征[1][3]。同年11月、中支那方面軍参謀を兼務し日中戦争に出征[1]。1938年(昭和13年)3月、騎兵中佐に昇進し、同年6月、参謀本部員に転じた[1]。その後、報道部員を兼務し、1939年(昭和14年)3月、陸軍省兵務局課員(防衛課)に就任[1]。
1940年(昭和15年)8月、北支那方面軍参謀に発令され中国戦線に出征[1][2][3]。1941年(昭和16年)3月、陸軍大佐に進んだ[1][3]。1942年(昭和17年)4月、第51師団参謀長発令され広東に駐屯[1][2][3]。同年12月、第51師団はニューギニア戦線に転用され、ラエ・サラモアの戦いに参戦し、1943年7月に戦死して陸軍少将に進んだ[1][2][3]。
親族
[編集]- 兄 本郷義夫(陸軍中将)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。