林芳太郎
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林 芳太郎 | |
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生誕 |
1889年(明治22年)10月3日 日本、京都府 |
死没 | 1963年(昭和38年)6月8日 |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1909年(明治42年) - |
最終階級 | 陸軍中将 |
林 芳太郎(はやし よしたろう、1889年10月3日 - 1963年6月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]京都府出身。1909年(明治42年)5月、陸軍士官学校(21期)を卒業。同年12月、歩兵少尉任官。
1936年(昭和11年)8月、歩兵大佐に昇進し第10師団司令部付(第六高等学校配属将校)となる。1937年(昭和12年)12月、第17碇泊場司令官に就任し、1938年(昭和13年)7月、歩兵第37連隊長に異動。
1939年(昭和14年)8月、陸軍少将に進級し東京陸軍幼年学校付となる。1940年(昭和15年)3月、大阪陸軍幼年学校長に就任し、1941年(昭和16年)3月、北支那方面軍隷下の独立混成第7旅団長となり日中戦争に出征した。
1942年(昭和17年)8月、陸軍中将に進み第110師団長に親補され、引き続き中国の諸作戦に従軍。1944年(昭和19年)7月、近衛第3師団長に親補された。1945年(昭和20年)5月、東部軍管区付となり終戦を迎えた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
栄典
[編集]- 位階
- 1910年(明治43年)2月21日 - 正八位[2]
- 1913年(大正2年)4月21日 - 従七位[3]
- 1918年(大正7年)5月20日 - 正七位[4]
- 1923年(大正12年)7月31日 - 従六位[5]
- 1928年(昭和3年)9月1日 - 正六位[6]
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[7]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。