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林芳太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
林 芳太郎
生誕 1889年(明治22年)10月3日
日本の旗 日本京都府
死没 1963年(昭和38年)6月8日
所属組織 日本陸軍
軍歴  1909年(明治42年) -
最終階級 陸軍中将
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林 芳太郎(はやし よしたろう、1889年10月3日 - 1963年6月8日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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京都府出身。1909年(明治42年)5月、陸軍士官学校(21期)を卒業。同年12月、歩兵少尉任官。

1936年(昭和11年)8月、歩兵大佐に昇進し第10師団司令部付(第六高等学校配属将校)となる。1937年(昭和12年)12月、第17碇泊場司令官に就任し、1938年(昭和13年)7月、歩兵第37連隊長に異動。

1939年(昭和14年)8月、陸軍少将に進級し東京陸軍幼年学校付となる。1940年(昭和15年)3月、大阪陸軍幼年学校長に就任し、1941年(昭和16年)3月、北支那方面軍隷下の独立混成第7旅団長となり日中戦争に出征した。

1942年(昭和17年)8月、陸軍中将に進み第110師団長に親補され、引き続き中国の諸作戦に従軍。1944年(昭和19年)7月、近衛第3師団長に親補された。1945年(昭和20年)5月、東部軍管区付となり終戦を迎えた。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
  2. ^ 『官報』第7998号「叙任及辞令」1910年2月23日。
  3. ^ 『官報』第216号「叙任及辞令」1913年4月22日。
  4. ^ 『官報』第1738号「叙任及辞令」1918年5月21日。
  5. ^ 『官報』第3301号「叙任及辞令」1923年8月1日。
  6. ^ 『官報』第535号「叙任及辞令」1928年10月5日。
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。