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歩兵第37連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歩兵第37連隊
創設 1896年
廃止 1945年
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 大阪
通称号/略称 淀4073
上級単位 第4師団
最終位置 タイ王国 ランパーン北方
戦歴 日露 - 日中 - 第二次世界大戦
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歩兵第37連隊(ほへいだい37れんたい、歩兵第三十七聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

沿革

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  • 1896年(明治29年) - 連隊本部を設置
  • 1898年(明治31年)
3月24日 - 軍旗拝受
9月20日 - 大阪市歩兵第20連隊兵営に移転[1]
  • 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍
  • 1934年(昭和9年)9月21日 - 室戸台風接近に伴い災害派遣。鶴橋第二小学校の校舎倒壊現場で、下敷きとなった小学生の救助活動を行う[2]
  • 1936年(昭和11年)4月 - 満州派遣が下令
  • 1937年(昭和12年) - 帰還
9月9日 - 動員下令
9月27日 - 上海に到着、激戦を展開しつつ南京攻略戦に参加
7月1日 - 動員下令、華中に派遣
11月 - 漢水作戦に参加
3月9日 - 上海を出港
3月15日 - ルソン島リンガエン湾に上陸、バターン半島攻略戦やコレヒドール島攻略戦に参加
7月 - 帰還
9月 - 動員下令
10月4日 - 大阪港を出港
11月1日 - スマトラ島に上陸、パダンに移駐、西海岸の警備、防衛築城に当たる
2月 - タイ王国に転戦する
4月 - タイ・ビルマ(現 ミャンマー)国境の警備に当たる
8月 - 終戦

歴代連隊長

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8代 矢木亮太郎
歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 山中信儀 1896.9.25 - 1899.8.26
2 椙原透 1899.8.26 - 1901.4.1 中佐
3 川村宗五郎 1901.4.1 - 1906.7.6 中佐、1902.11.大佐
4 太田栄次郎 1906.7.11 -
5 伊豆凡夫 1907.11.13 - 1910.11.30
6 尾野実信 1910.11.30 -
7 稲村新六 1911.12.27 - 1914.1.14
8 矢木亮太郎 1914.1.14 - 1915.8.10
9 家永直太郎 1915.8.10 -
10 林弥三吉 1919.7.25 -
11 井染禄朗 1921.4.26 - 1922.8.15[3]
12 厚東篤太郎 1922.8.15 - 1923.8.6[4]
13 坂井兵吉 1923.8.6 -
14 高田美明 1926.3.2 -
15 長谷部照俉 1927.5.24 -
16 喜多誠一 1931.8.1 -
17 藤井洋治 1932.2.20 -
18 三浦敏事 1933.8.1 -
19 北野憲造 1935.3.15 -
20 森村経太郎 1937.8.2 -
21 林芳太郎 1938.7.15 -
22 竹内安守 1939.8.1 -
23 小浦次郎 1941.3.1 -
24 中村淳次 1943.5.2 -
細川志道 1944.6.21 -

脚注

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  1. ^ 『官報』第4573号、明治31年9月26日。
  2. ^ 小学校の倒壊相つぎ学童ら多数死傷『大阪毎日新聞』昭和9年9月21日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p228 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  3. ^ 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
  4. ^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。

外部リンク

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参考文献

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  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 官報

関連項目

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