歩兵第20連隊
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歩兵第20連隊 | |
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創設 | 1884年 |
廃止 | 1944年玉砕 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 大阪 - 福知山 |
通称号/略称 | 垣6555 |
上級単位 | 大阪鎮台 - 第4師団 - 第10師団 - 第16師団 |
最終位置 | フィリピン レイテ島 |
戦歴 | 日清 - 日露 - 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第20連隊(ほへいだい20れんたい、歩兵第二十聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 1884年(明治17年) - 大阪にて第1大隊が編成完結
- 1885年(明治18年)7月21日 - 軍旗拝受
- 1888年(明治21年)5月 - 第4師団創設
- 1894年(明治27年) - 日清戦争に従軍するも、大連湾で集結中に終戦
- 1898年(明治31年)8月30日 - 京都府天田郡福知山町の新築兵営に移転[1]。
- 10月1日 - 第4師団から第10師団に所属変更
- 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍
- 1905年(明治38年) - 第10師団から第16師団に所属変更
- 1915年(大正4年)2月26日 - 大隊長(1914年8月10日補任、官報)の桜井正吉歩兵少佐が殺害される。容疑者として連隊附T少尉が軍法会議にかけられるが、証拠不十分で迷宮入り。
- 1925年(大正14年)5月 - 北但馬地震の救援活動に出動。三箇中隊が城崎町などで非常警備にあたる[2]。
- 1937年(昭和12年)9月14日 - 塘沽に上陸
- 1939年(昭和14年)8月20日 - 帰還
- 1941年(昭和16年)12月24日 - ルソン島ラモン湾に上陸、マニラに進攻
- 1943年(昭和18年)11月25日 - レイテ島上陸、同地の警備を開始
- 1944年(昭和19年)10月20日 - アメリカ軍上陸、海岸沿いにて防戦するが翌21日に連隊長は戦死、第2大隊を残して壊滅
- 10月24日 - ブラウエン飛行場の防御にあたる
- 10月26日 - ダガミへ転進するが玉砕
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 河野通行 | 1885.5.26 - | 中佐 |
2 | 矢上義芳 | 1886.5.27 - | 中佐 |
3 | 土屋光春 | 1889.11.28 - 1890.10.15 | 中佐 |
4 | 大久保利貞 | 1890.10.15 - | 中佐、1894.11.大佐 |
5 | 飯田俊助 | 1894.11.29 - 1896.9.25 | 中佐、1894.12.大佐 |
6 | 池田正介 | 1896.9.25 - 1897.9.7 | |
7 | 遠山規方 | 1897.9.7 - 10.11 | 中佐 |
8 | 師岡政宣 | 1897.10.11 - 1900.5.25 | 中佐、大佐昇進 |
9 | 門司和太郎 | 1900.5.25 - 1902.8.21 | 中佐、1901.11.大佐 |
10 | 桂真澄 | 1902.8.21 - 1904.8.27 | 中佐、1903.11.大佐、戦死 |
11 | 八木下純 | 1904.8.29 - 9.1 | 中佐 |
12 | 清水金生 | 1904.9.11 - | 中佐 |
13 | 前田喜唯 | 1904.11.23 - | |
14 | 小沢季治 | 1906.5.2 - 1910.10.1 | 中佐、1906.12.大佐 |
15 | 鈴木朝資 | 1910.10.1 - 1912.3.5 | |
16 | 清水三男 | 1912.3.5 - 1913.8.22 | |
17 | 杉村勇次郎 | 1913.8.22 - 1916.4.1 | |
18 | 長谷川直敏 | 1916.4.1 - 1917.8.6 | |
19 | 長渡忠被 | 1917.8.6 - | |
20 | 益満竹之助 | 1921.6.28 - | |
21 | 岸孝一 | 1923.3.17 - | |
22 | 山田勝康 | 1924.2.4 - | |
23 | 高田友助 | 1928.3.8 - | |
24 | 赤松寅七 | 1929.8.1 - | |
25 | 堀田修造 | 1930.3.6 - | |
26 | 伊丹政吉 | 1931.8.1 - 1932.8.8[3] | |
27 | 土居稲生 | 1932.8.8 - | |
28 | 桑名照弐 | 1934.3.5 - 1935.8.1[4] | |
29 | 土橋勇逸 | 1935.8.1[4] - | |
30 | 大野宣明 | 1937.8.2 - | |
31 | 南部襄吉 | 1938.7.15 - | |
32 | 北条藤吉 | 1939.8.1 - | |
33 | 吉岡頼勝 | 1941.7.17 - | |
34 | 鉾田慶次郎 | 1944.3.1 - 10.20 | 戦死 |
末 | 山森友吉 | 1944.12.11 - | 戦死 |
脚注
[編集]- ^ 『官報』第4563号、明治31年9月13日。
- ^ 「豊岡・城崎は焦土と化す、救援隊続々と到着」『大阪毎日新聞』1925年5月24日(大正ニュース事典編纂委員会『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編pp..239-240 毎日コミュニケーションズ 1994年)
- ^ 『官報』第1683号、昭和7年8月9日。
- ^ a b 『官報』第2575号、昭和10年8月2日。
参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 甲斐克彦『陸大物語』光人社NF文庫、2003年。
- 両丹新聞『福知山の二・二六事件』、2016年2月26日配信。