鈴木朝資
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鈴木 朝資 | |
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生誕 |
1870年3月4日 酒田県田川郡鶴岡 |
死没 |
1933年4月25日(63歳没) 東京都 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1891 - 1919 |
最終階級 | 陸軍少将 |
指揮 | 歩兵第29旅団長 |
墓所 | 青山霊園 |
鈴木 朝資(すずき ちょうし)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
略歴
[編集]- 1870年3月4日(明治3年2月3日) - 酒田県田川郡鶴岡(現・山形県鶴岡市)に、鈴木朝思の長男として生れる。
- 1881年(明治14年)8月 - 新潟に移住。
- 1890年(明治23年)7月 - 陸軍士官学校(士候1期)卒業、 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期を歩兵科30番/103名で卒業している。
- 1891年(明治24年)3月 - 陸軍少尉 任官
- 1898年(明治31年)12月27日 - 陸軍大学校 (12期)卒業(優等)
- 第10師団参謀
- 清国駐屯軍参謀
- 1904年(明治37年) - 第1師団参謀 就任
- 1906年(明治39年)3月 - 陸軍大学校教官 就任
- 1909年(明治42年)5月 - 陸軍大佐 任官
- 1910年(明治43年) - 帰国
- 10月 - 歩兵第20連隊長
- 1912年(明治45年)3月 - 第15師団参謀長
- 1913年(大正2年)8月 - 軍務局軍事課長 就任
- 1915年(大正4年)1月 - 陸軍少将 任官・歩兵第29旅団長 就任
- 1918年(大正7年)7月 - 待命
- 1919年(大正8年)1月 - 予備役編入
- 1933年(昭和8年)4月 - 死去。
栄典
[編集]- 位階
- 1892年(明治25年)2月3日 - 正八位[1]
- 1894年(明治27年)12月18日 - 従七位[2]
- 1898年(明治31年)3月30日 - 正七位[3]
- 1903年(明治36年)5月20日 - 従六位[4]
- 1905年(明治38年)11月7日 - 正六位[5]
- 1909年(明治42年)7月20日 - 従五位[6]
- 1914年(大正3年)9月1日 - 正五位[7]
- 1919年(大正8年)2月14日 - 従四位[8]
- 勲章等
- 外国勲章佩用允許
- 1910年(明治43年)6月29日
- フランス共和国:レジオンドヌール勲章オフィシエ[11]
- オーストリア=ハンガリー帝国:鉄冠第二等勲章[11]
脚注
[編集]- ^ 『官報』第2576叙任及辞令」1892年2月4日。
- ^ 『官報』第3444号「叙任及辞令」1894年12月19日。
- ^ 『官報』第4421号「叙任及辞令」1898年3月31日。
- ^ 『官報』第5963号「叙任及辞令」1903年5月21日。
- ^ 『官報』第6711号「叙任及辞令」1905年11月10日。
- ^ 『官報』第7821号「叙任及辞令」1909年7月21日。
- ^ 『官報』第627号「叙任及辞令」1914年9月2日。
- ^ 『官報』第1960号「叙任及辞令」1919年2月17日。
- ^ 『官報』第539号「叙任及辞令」1914年5月18日。
- ^ 『官報』第1190号「叙任及辞令」1916年7月19日。
- ^ a b 『官報』第81111号「叙任及辞令」1910年7月6日。