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川村宗五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川村 宗五郎
生誕 1858年6月25日
日本の旗 日本 薩摩国(鹿児島県)
死没 (1916-03-18) 1916年3月18日(57歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1879年 - 1916年
最終階級 陸軍中将
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川村 宗五郎(かわむら そうごろう、1858年6月25日安政5年5月15日[1][2][注釈 1]〉- 1916年大正5年〉3月18日[3][4])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[5]。旧姓・大津[1]

経歴

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薩摩国(現鹿児島県)で薩摩藩士大津六郎左衛門の4男として生まれ、1881年明治14年)川村善左衛門の養子となり1888年(明治21年)家督を相続した[1]

1879年(明治12年)12月、陸軍士官学校旧3期を卒業し、陸軍歩兵少尉任官[3][5]1890年(明治23年)ドイツ帝国に留学した[1][5]

1894年(明治27年)日清戦争第二軍兵站監部副官として出征[1][2]1901年(明治34年)4月、歩兵第37連隊長に就任し、1902年(明治35年)11月、歩兵大佐に昇進[5]日露戦争に出征し南山の戦い得利寺の戦い遼陽会戦に参戦[3]奉天会戦では37連隊第2大隊が奉天城一番乗りを果たした[3]

1906年(明治39年)7月、陸軍少将に進み歩兵第16旅団長に就任[3][5]。歩兵第9旅団長を経て1912年大正元年)12月、陸軍中将に進み第9師団長に親補されたが、在任中に死去した[3][4][5]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』241頁では安政6年5月。

出典

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録 初版』376-377頁。
  2. ^ a b 『人事興信録 第4版』か43頁。
  3. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』241頁。
  4. ^ a b 『日本陸海軍総合事典 第2版』373頁。
  5. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』60頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 初版』1903年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』1915年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年。