川村宗五郎
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川村 宗五郎 | |
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生誕 |
1858年6月25日 日本 薩摩国(鹿児島県) |
死没 | 1916年3月18日(57歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1879年 - 1916年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
川村 宗五郎(かわむら そうごろう、1858年6月25日〈安政5年5月15日[1][2][注釈 1]〉- 1916年〈大正5年〉3月18日[3][4])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[5]。旧姓・大津[1]。
経歴
[編集]薩摩国(現鹿児島県)で薩摩藩士大津六郎左衛門の4男として生まれ、1881年(明治14年)川村善左衛門の養子となり1888年(明治21年)家督を相続した[1]。
1879年(明治12年)12月、陸軍士官学校旧3期を卒業し、陸軍歩兵少尉任官[3][5]。1890年(明治23年)ドイツ帝国に留学した[1][5]。
1894年(明治27年)日清戦争に第二軍兵站監部副官として出征[1][2]。1901年(明治34年)4月、歩兵第37連隊長に就任し、1902年(明治35年)11月、歩兵大佐に昇進[5]。日露戦争に出征し南山の戦い、得利寺の戦い、遼陽会戦に参戦[3]。奉天会戦では37連隊第2大隊が奉天城一番乗りを果たした[3]。
1906年(明治39年)7月、陸軍少将に進み歩兵第16旅団長に就任[3][5]。歩兵第9旅団長を経て1912年(大正元年)12月、陸軍中将に進み第9師団長に親補されたが、在任中に死去した[3][4][5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本陸軍将官辞典』241頁では安政6年5月。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 初版』1903年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』1915年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年。