福原佳哉
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福原 佳哉(ふくはら / ふくばら よしや、明治7年(1874年)2月24日 - 昭和27年(1952年)2月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]山口県出身。伊藤波門の二男として生れ、福原和勝陸軍大佐の養嗣子となる。陸軍幼年学校を経て、1894年(明治27年)7月、陸軍士官学校(5期)を卒業。同年9月、歩兵少尉に任官し歩兵第1連隊付となる。1903年(明治36年)11月、陸軍大学校(17期)を優等で卒業し歩兵第48連隊中隊長に就任。
1904年(明治37年)10月、大本営参謀となる。1905年(明治38年)4月、歩兵少佐に昇進し第3師団参謀に就任。1906年(明治39年)7月、参謀本部員となり、1907年(明治40年)7月、フランス駐在となる。参謀本部付を経て、1908年(明治41年)12月、フランス大使館付武官補佐官に発令。1909年(明治42年)12月、歩兵中佐に進級。参謀本部員、フランス大使館付武官を経て、1913年(大正2年)8月、歩兵大佐に進級。
1916年(大正5年)5月、歩兵第57連隊長に就任。1918年(大正7年)7月、陸軍少将に進級し歩兵第19旅団長に着任。第6師団司令部付を経て、1921年(大正10年)3月、関東軍参謀長となる。1923年(大正12年)8月、陸軍中将に進み東京湾要塞司令官となった。1924年(大正13年)2月、第10師団長に親補された。1926年(大正15年)3月に待命、予備役編入となった。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章
親族
[編集]- 妻 福原ミチ 岡市之助陸軍中将の娘。
脚注
[編集]参考文献
[編集]関連項目
[編集]- 安芸福原氏(系譜的には佳哉の祖となる、読み方は“ふくばら”)