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歩兵第57連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歩兵第57連隊
創設 1905年明治38年)
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 青森 - 習志野 - 佐倉
通称号/略称 玉5916
上級単位 第15師団 - 第1師団
最終上級単位 第1師団
最終位置 フィリピン セブ島
戦歴 日露 - 日中 - 第二次世界大戦
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歩兵第57連隊(ほへいだい57れんたい、歩兵第五十七聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

駐屯地歩兵第2連隊と同じ佐倉城址(現在の佐倉城趾公園)。公園内には弾薬庫跡、訓練用施設などの遺構が残存している[1]

沿革

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2月 - 二・二六事件の鎮圧のため東京市へ出動する
4月30日 - 満州駐剳、チチハルに駐屯する
以後7年間、満州孫呉に駐屯し赤軍匪賊との小競り合いが続く
グアムに第3大隊を派遣
7月 - アメリカ軍が上陸開始(グアムの戦い)、マンガン山で激戦を繰り広げるも損害大
8月11日 - 第3大隊は玉砕する
11月1日 - 連隊主力はレイテ島オルモックに上陸
11月4日 - リモン峠の戦いが始まる。米陸軍第24師団と戦闘。第24師団の損耗激しく、後に米第32師団、第11空挺師団が増援され日本軍は劣勢に。第二大隊長の長嶺秀雄少佐も三度負傷[2]
12月 - リモン峠からの撤退命令で、第一師団司令部にたどり着いた頃には連隊の兵力はわずか90名程で、ほとんど全滅状態であった[3]。カンギポットへ転進
1月 - セブ島へ転進
5月 - 遊撃戦に転換する
8月 - 終戦
8月18日 - 両軍による停戦式が執り行われる

歴代連隊長

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歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 勝賀瀬元 1905.7.13 - 中佐
2 小沢徳平 1906.3.12 - 1907.10.4
3 竹迫弥彦 1907.10.7 - 1912.9.28 中佐、大佐昇進
4 湯地藤吉郎 1912.9.28 - 1915.8.10
5 金谷範三 1915.8.10 - 1916.5.2
6 福原佳哉 1916.5.2 -
7 林銑十郎 1918.7.24 -
8 野口猪雄次 1920.1.30 -
9 原田敬一 1922.2.8 -
10 安田郷輔 1923.2.1 -
11 山中三郎 1924.2.4 - 1925.3.18 現職で死去
12 山崎定義 1925.3.18 -
13 佐藤信亮 1927.2.10 -
14 大串敬吉 1928.3.8 -
15 小松原道太郎 1930.8.1 -
16 今村均 1932.4.11 -
17 羽守清一郎 1933.8.1 -
18 山口直人 1935.3.15 -
19 秦彦三郎 1937.8.2 -
20 木村松治郎 1938.7.15 -
21 斎俊男 1939.8.1 -
宮内良夫 1941.12.1 -

脚注

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  1. ^ 佐倉城址公園内連隊遺構マップ - 佐倉市” (PDF). 佐倉市 (2018年3月). 2018年8月26日閲覧。
  2. ^ 太平洋戦争 最後の証言 第二部 陸軍玉砕編 小学館、2011年、173頁。
  3. ^ 太平洋戦争 最後の証言 第二部 陸軍玉砕編 小学館、2011年、174頁。

参考文献

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  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 官報

関連項目

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