長崎守一
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長崎 守一 | |
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生誕 |
1886年9月12日 日本 東京都 |
死没 | 1968年6月6日(81歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1909 - 1941 |
最終階級 | 陸軍少将 |
長崎 守一(ながさき しゅいち、1886年(明治19年)9月12日 - 1968年(昭和43年)6月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。陸軍司政長官[1]。士候21期。阿部平輔陸軍中将、冨永信政陸軍大将、石原莞爾陸軍中将とは同期。栄典は従四位勲二等功四級。
経歴
[編集]東京市出身。宮中顧問官長崎省吾の長男として生まれる。麹町小学校、府立一中(現・都立日比谷高校)を経て、1909年5月陸軍士官学校を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官。1937年3月台湾軍高級副官、1938年9月第21軍高級副官を経て、1939年3月歩兵第113連隊長となった。1940年陸軍少将に昇進。同年3月歩兵第18旅団長、10月第52歩兵団長となり、翌年1941年8月に待命、予備役編入となった。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[2]。
栄典
[編集]- 位階
- 1910年(明治43年)2月21日 - 正八位[3]
- 1913年(大正2年)4月21日 - 従七位[4]
- 1918年(大正7年)5月20日 - 正七位[5]
- 1923年(大正12年)7月31日 - 従六位[6]
- 勲章等
家族・親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 帝国秘密探偵社 1943, 海外20頁.
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」106頁。
- ^ 『官報』第7998号「叙任及辞令」1910年2月23日。
- ^ 『官報』第216号「叙任及辞令」1913年4月22日。
- ^ 『官報』第1738号「叙任及辞令」1918年5月21日。
- ^ 『官報』第3301号「叙任及辞令」1923年8月1日。
- ^ 『官報』・付録 1941年11月14日 辞令二
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 太平洋戦争研究会『日本陸軍将官総覧』PHP研究所、2010年。