高島友武
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高島 友武(たかしま ともたけ、慶応3年3月1日(1867年4月5日)[1] - 1943年5月24日)は、日本の陸軍軍人、華族(子爵)。階級は陸軍中将に昇り第19師団長を務める。勲等は勲一等功三級。上原閥の一人。
経歴
[編集]薩摩藩士・吉井友実の息子として生まれ、親戚である拓殖務大臣・陸軍大臣を務めた高島鞆之助の養嗣子となる。1888年(明治21年)7月28日に陸軍士官学校(旧10期)を卒業し、翌年の6月27日に陸軍歩兵少尉に任官する。歩兵将校として累進し、1905年(明治38年)5月2日に歩兵第6連隊長に就任、日露戦争に従軍する。この時の階級は陸軍歩兵中佐。その後1908年(明治41年)12月、歩兵大佐・歩兵第8連隊長。近衛歩兵第1連隊長、近衛歩兵第2連隊長を経て、1914年(大正3年)5月11日、陸軍少将・歩兵第19旅団長。
1918年(大正7年)7月24日、陸軍中将に進み立花小一郎の後を受けて第19師団長に就任する。第19師団は日露戦争後に併合した朝鮮の守備を目的に1915年(大正4年)12月に羅南で編制された新設師団で、高島は第2代師団長である。師団長在任中の1920年(大正9年)12月25日に勲一等旭日大綬章を受章、翌年の1921年(大正10年)7月20日予備役となる。
甥であり養嗣子でもある高島友春が離籍していたため、1943年の死去の翌日5月25日に高島家は爵位を返上した。
栄典
[編集]- 位階
- 1914年(大正3年)4月10日 - 従四位[2]
- 1918年(大正7年)8月30日 - 正四位[3]
- 1921年(大正10年)8月19日 - 従三位[4]
- 1940年(昭和15年)9月16日 - 従二位[5]
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
親族
[編集]- 実父・吉井友実
- 兄 吉井幸蔵(海軍少佐、貴族院議員)
- 妻 高島多嘉 ‐ 高島鞆之助の長女
- 義父 高島鞆之助
- 養嗣子 高島友春 ‐ 幸蔵の三男
- 養女 高島初子 ‐ 鞆之助の実孫(四女と徳永重康の娘)、友春の妻
脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.14
- ^ 『官報』第508号「叙任及辞令」1914年4月11日。
- ^ 『官報』第1825号「叙任及辞令」1918年9月2日。
- ^ 『官報』第2717号「叙任及辞令」1921年8月20日。
- ^ 『官報』第4147号「叙任及辞令」1940年11月1日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
日本の爵位 | ||
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先代 高島鞆之助 |
子爵 高島(鞆之助)家第2代 1916年 - 1943年 |
次代 爵位返上 |