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高橋貞夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高橋 貞夫
生誕 1883年3月14日
大日本帝国の旗 大日本帝国 東京都
死没 (1954-12-29) 1954年12月29日(71歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1924 - 1937
最終階級 陸軍中将
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高橋 貞夫(たかはし さだお、1883年明治16年)3月14日[1] - 1954年昭和29年)12月29日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴・人物

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東京府出身[1][2]1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[1][3]

1924年大正13年)2月に陸軍造兵廠東京工廠小銃製造所長に発令され、1925年(大正14年)8月に陸軍砲兵大佐に進級[2]。ついで、1928年(昭和3年)3月に陸軍技術本部附(米国駐在官)、1930年(昭和5年)4月に陸軍技術本部部員を経て、同年8月に陸軍少将に進み、陸軍技術本部第3部長となる[1][2]

その後、1932年(昭和7年)8月に陸軍造兵廠東京工廠長、1933年(昭和8年)11月に陸軍造兵廠小倉工廠長を経て、1934年(昭和9年)8月に陸軍中将に進級し、1935年(昭和10年)8月に陸軍兵器本廠長を経て、1937年(昭和12年)8月2日に待命、同月22日に予備役に編入した[1][2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f 福川 2001, 424頁.
  2. ^ a b c d 外山 1981, 187頁.
  3. ^ 外山 1981, 183頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026