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野村恭雄

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野村 恭雄(のむら やすお、1899年明治32年)7月23日[1] - 1980年昭和55年)4月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

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山口県出身[1][2]1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業[3]陸軍砲工学校第30期を優等で卒業[2]東京帝国大学物理学科卒業[2]

陸軍大学校教官を経て、1941年(昭和16年)3月、陸軍大佐に進み、近衛野砲兵連隊長に補され[2]大東亜戦争に出征する[1]。マレー、シンガポールを攻陥し、スマトラに駐屯した[1]。内地に帰還後は、陸軍兵器行政本部技術課長、陸軍第2技術研究所員、大本営参謀などを歴任し、1945年(昭和20年)3月に陸軍少将に進んだ[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 福川 2001, 569頁.
  2. ^ a b c d 外山 1981, 447頁.
  3. ^ 外山 1981, 446頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」107頁。

参考文献

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  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738