重安穐之助
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重安 穐之助(しげやす あきのすけ、1898年(明治31年)6月23日[1] - 1978年(昭和53年)2月6日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]山口県出身[1][2]。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業[2]。1928年(昭和3年)陸軍大学校第40期卒業[3]。
1938年(昭和13年)3月、北支那方面軍参謀に補され[2]、支那事変に出征する[1]。1939年(昭和14年)3月、陸軍大学校教官に転じ、1941年(昭和16年)3月、陸軍大佐に進む[2]。大東亜戦争では第1軍高級参謀となり、ついで第2方面軍作戦参謀、同軍参謀副長を務めニューギニア戦線を指揮した[1]。1945年(昭和20年)3月、陸軍少将に進んだのち同年6月に本土決戦に備えるため第13方面軍参謀副長に任じ、名古屋で防衛陣地を構築中に終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。