井上政吉
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井上 政吉 | |
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生誕 |
1886年1月18日 京都府 |
死没 | 1975年4月7日(89歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1905 - 1942 1945 |
最終階級 | 陸軍中将 |
指揮 |
陸軍戸山学校長 第23師団長 歩兵第36旅団長 近衛歩兵第3連隊長 |
戦闘 |
日中戦争 第二次世界大戦 |
墓所 | 多磨霊園 |
井上 政吉(いのうえ まさきち、1886年(明治19年)1月18日[1] - 1975年(昭和50年)4月7日[1])は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]京都府出身[1]。1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業[1][2]。翌年6月、陸軍歩兵少尉に任官[2]。
1933年(昭和8年)8月、歩兵大佐に昇進し津連隊区司令官に就任した[3]。1935年(昭和10年)3月、歩兵第6連隊長に移り、1936年(昭和11年)3月、近衛歩兵第3連隊長となった[3]。
日中戦争の開始と共に、1937年(昭和12年)3月、第5師団司令部付となったが、同年4月、仙台陸軍幼年学校長に就任[3]。同年8月、陸軍少将に進級[3]。1938年(昭和13年)12月、歩兵第36旅団長となり中国に出征した[1][3]。1939年(昭和14年)10月、陸軍中将に進み関東軍付となり満州に移った[1][3]。ノモンハン事件後の1939年11月6日に、小松原道太郎中将の後任として第23師団長に親補され[3]、師団の再建に尽力した[1]。1941年(昭和16年)3月、参謀本部付となり、翌月に待命、予備役編入となった[1][3]。
1945年(昭和20年)4月に召集され、最後の陸軍戸山学校長として終戦まで在任した[4]。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
1975年に死去し、墓所は東京都府中市の多磨霊園に所在[要出典]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]