コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

井上政吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上 政吉
生誕 1886年1月18日
京都府
死没 (1975-04-07) 1975年4月7日(89歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1905 - 1942
1945
最終階級 陸軍中将
指揮 陸軍戸山学校
第23師団
歩兵第36旅団長
近衛歩兵第3連隊長
戦闘 日中戦争
第二次世界大戦
墓所 多磨霊園
テンプレートを表示

井上 政吉(いのうえ まさきち、1886年(明治19年)1月18日[1] - 1975年(昭和50年)4月7日[1])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

[編集]

京都府出身[1]1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業[1][2]。翌年6月、陸軍歩兵少尉に任官[2]

1933年(昭和8年)8月、歩兵大佐に昇進し津連隊区司令官に就任した[3]1935年(昭和10年)3月、歩兵第6連隊長に移り、1936年(昭和11年)3月、近衛歩兵第3連隊長となった[3]

日中戦争の開始と共に、1937年(昭和12年)3月、第5師団司令部付となったが、同年4月、仙台陸軍幼年学校長に就任[3]。同年8月、陸軍少将に進級[3]1938年(昭和13年)12月、歩兵第36旅団長となり中国に出征した[1][3]1939年(昭和14年)10月、陸軍中将に進み関東軍付となり満州に移った[1][3]ノモンハン事件後の1939年11月6日に、小松原道太郎中将の後任として第23師団長に親補され[3]、師団の再建に尽力した[1]1941年(昭和16年)3月、参謀本部付となり、翌月に待命、予備役編入となった[1][3]

1945年(昭和20年)4月に召集され、最後の陸軍戸山学校長として終戦まで在任した[4]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

1975年に死去し、墓所は東京都府中市多磨霊園に所在[要出典]

栄典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』96頁。
  2. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』225、232頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』232頁。
  4. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、340頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」36頁。
  6. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。