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馬淵正文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

馬淵 正文(まぶち まさふみ、1857年5月8日(安政4年4月15日[1])- 1913年大正2年)12月12日[2][3][注 1])は、明治期の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧名・政太郎[1]

経歴

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本籍静岡県[2]。馬淵左太夫の長男として生まれる[1]沼津兵学校附属小学校(現沼津市立第一小学校)で学んだ[1]。同校頭取・鈴木成虎が命名した正文に改名[1]。1877年(明治10年)5月、陸軍士官学校(旧3期)に入学[1][4]。1879年(明治12年)12月、陸軍砲兵少尉に任官した[1][4][5]

1888年(明治21年)清国視察、1896年(明治29年)マニラ出張、1900年(明治33年)韓国公使館付などを経て[1]、1901年(明治34年)6月、野砲兵第18連隊長に就任し、1904年(明治37年)2月、野砲兵第4連隊長に転じて日露戦争に出征し、同年3月、砲兵大佐に昇進[1][2][6]。1905年(明治38年)12月、東京砲兵工廠付となり、1908年(明治41年)12月、陸軍少将に昇進と同時に予備役に編入された[1][2][6]。その後、後備役となる[3]京都府愛宕郡下鴨村(現京都市左京区下鴨)で病のため死去した[3]

栄典

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位階
勲章

脚注

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注釈

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  1. ^ 『沼津兵学校の研究』623頁では12月11日。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『沼津兵学校の研究』623頁。
  2. ^ a b c d 『日本陸軍将官辞典』150頁。
  3. ^ a b c 『大正過去帳』32頁。
  4. ^ a b 『市ヶ谷台に学んだ人々』6頁。
  5. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』57、60-61頁。
  6. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』60-61頁。
  7. ^ 『官報』第5005号「叙任及辞令」1900年3月12日。
  8. ^ 『官報』第6247号「叙任及辞令」904年4月30日。
  9. ^ 『官報』第7709号「叙任及辞令」1909年3月11日。
  10. ^ 『官報』第3131号「叙任及辞令」1893年12月5日。

参考文献

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  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 桑原嶽『市ヶ谷台に学んだ人々』文京出版、2000年。
  • 樋口雄彦『沼津兵学校の研究』吉川弘文館、2007年。ISBN 978-4-642-03780-8