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高橋茂寿慶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高橋 茂寿慶
生誕 1892年1月30日
日本の旗 日本 新潟県
死没 (1951-02-04) 1951年2月4日(59歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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高橋 茂寿慶(高橋 茂壽慶、たかはし もすけ、1892年明治25年〉1月30日 - 1951年昭和26年〉2月4日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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新潟県出身[1]

1913年大正2年)陸軍士官学校第25期卒業、陸軍砲兵少尉に任官[1][2]。のち1920年(大正9年)陸軍大学校に入校し、1923年(大正12年)同校第35期卒業[1]

1932年(昭和7年)関東軍参謀、1935年(昭和10年)陸軍大学校研究部主事、1936年(昭和11年)陸軍大学校教官、1937年(昭和12年)陸軍砲兵大佐1938年(昭和13年)野戦重砲兵第9連隊長を経て、1939年(昭和14年)8月1日陸軍少将中支那派遣軍兵器部長に任官し、支那事変に出征した[1][3][4][5][6][7][8]

ついで同年9月12日に支那派遣軍兵器部長、1940年(昭和15年)8月1日に駐蒙軍参謀長を歴任[1]大東亜戦争に入ると、1941年(昭和16年)10月21日に関東軍兵器部長、1943年(昭和18年)3月25日下関要塞司令官、1944年(昭和19年)8月8日西部軍司令部附を経て、同年10月26日に陸軍中将に昇進し、関東州警備司令官を務め、翌年の1944年(昭和20年)4月15日第161師団長に補され、上海にて終戦を迎えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[9]

栄典

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勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』427頁。
  2. ^ 『官報』第425号、大正2年12月26日。
  3. ^ 『官報』第1783号、昭和7年12月8日。
  4. ^ 『官報』第2459号、昭和10年3月16日。
  5. ^ 『官報』第2876号、昭和11年8月3日。
  6. ^ 『官報』第3175号、昭和12年8月3日。
  7. ^ 『官報』第3346号、昭和13年3月2日。
  8. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』335頁。
  9. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。
  10. ^ 『官報』第1978号「叙任及辞令」昭和8年8月4日。
  11. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。