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杉原美代太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
杉原美代太郎
生誕 (1880-04-01) 1880年4月1日
死没 (1975-03-10) 1975年3月10日(94歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1900年 - 1935年
最終階級 陸軍中将
指揮 工兵監
第7師団長
出身校 陸軍士官学校
陸軍大学校
親族 黒沢トミ(妹) 黒沢準(トミ夫)
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杉原 美代太郎(すぎはら みよたろう、1880年明治13年)4月1日[1][2] - 1975年昭和50年)3月10日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将正四位勲二等

経歴

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東京府出身[1][3]。杉原全徳の長男として生れる[2]。1900年(明治33年)11月、陸軍士官学校(12期)を卒業[1][4]。翌年6月、工兵少尉に任官し近衛工兵大隊付となる[4][5]。1906年(明治39年)12月、陸軍砲工学校高等科(12期)を優等で卒業した[3][6]

1920年(大正9年)8月、陸軍省軍務局航空課長に就任[3]。1922年(大正11年)4月、工兵第20大隊長に転じ、同年8月、工兵大佐に昇進[3]。1923年(大正12年)3月、電信第1連隊長に就任し、軍務局工兵課長、同局防備課長を経て、1927年(昭和2年)7月、陸軍少将に進級し陸軍技術本部第2部長に就任した[1][3]

1932年(昭和7年)1月、工兵監に就任し、1932年(昭和7年)4月、陸軍中将に進んだ[1][3]。1933年(昭和8年)8月、第7師団長に親補され北海道に駐屯した[1][3]。1935年(昭和10年)8月に待命となり、同月、予備役編入となった[1][3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]

栄典

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』391頁。
  2. ^ a b c 『人事興信録』第10版 上、ス46頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』169頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』165、169頁。
  5. ^ 『官報』第5393号、明治34年6月26日。
  6. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、637頁。
  7. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」138頁。
  8. ^ 『官報』第5484号「叙任及辞令」1901年10月11日。
  9. ^ 『官報』第8185号「叙任及辞令」1910年10月1日。
  10. ^ 『官報』第2626号「叙任及辞令」1935年10月2日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第10版 上、人事興信所、1934年。