コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

横浜和義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

横浜 和義(よこはま かずよし、1884年明治17年)6月4日[1] - 1957年昭和32年)2月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将陸軍司政長官

経歴

[編集]

宮城県出身[1][2][3]1904年(明治37年)陸軍士官学校第16期卒業[1][2]1930年(昭和5年)8月、陸軍歩兵大佐に進級と同時に第2師団司令部附(新潟医科大学配属将校)となり、1933年(昭和8年)8月、永興湾要塞司令官に転じた[2]1935年(昭和10年)3月15日に待命と同時に陸軍少将に進級し、同月30日、予備役に編入[1][2]1942年(昭和17年)7月、陸軍司政長官に転出し[1][2][3]1944年(昭和19年)5月、退官した[4]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

栄典

[編集]
位階
勲章等

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 福川 2001, 785頁.
  2. ^ a b c d e 外山 1981, 214頁.
  3. ^ a b 帝国秘密探偵社 1943, 海外30頁.
  4. ^ 『法制局参事官佐藤達夫外一名官等陞叙並免官ノ件○陸軍司政長官横浜和義免官』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、昭和19年6月1日。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」194頁。
  6. ^ 『官報』第6441号「叙任及辞令」1904年12月17日。
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

[編集]
  • 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1230025 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026