横浜和義
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横浜 和義(よこはま かずよし、1884年(明治17年)6月4日[1] - 1957年(昭和32年)2月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。陸軍司政長官。
経歴
[編集]宮城県出身[1][2][3]。1904年(明治37年)陸軍士官学校第16期卒業[1][2]。1930年(昭和5年)8月、陸軍歩兵大佐に進級と同時に第2師団司令部附(新潟医科大学配属将校)となり、1933年(昭和8年)8月、永興湾要塞司令官に転じた[2]。1935年(昭和10年)3月15日に待命と同時に陸軍少将に進級し、同月30日、予備役に編入[1][2]。1942年(昭和17年)7月、陸軍司政長官に転出し[1][2][3]、1944年(昭和19年)5月、退官した[4]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[7]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。