河内礼蔵
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河内 礼蔵(かわち れいぞう、1862年11月1日(文久2年9月10日)[1] - 1927年2月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]鹿児島県種子島出身。1885年(明治18年)6月、陸軍士官学校(旧7期)を卒業し歩兵少尉に任官。
日露戦争に出征。遼陽会戦前の1904年(明治37年)8月、前任の吉田貞中佐の戦死により歩兵第4連隊長に就任。1905年(明治38年)3月、戦傷を受け解任。1906年(明治39年)2月、歩兵第4連隊長に復帰し、1907年(明治40年)11月、歩兵大佐に昇進。1911年(明治44年)9月、陸軍少将に進級し歩兵第15旅団長に就任。
1915年(大正4年)2月、歩兵第35旅団長に転じた。1916年(大正5年)8月、陸軍中将に進み第2師団長に親補された。1919年(大正8年)7月に待命となる。翌年2月2日、予備役に編入された[2]。
河内の人となりについては、河内が歩兵第4連隊長時代に、彼の部下であった今村均が記した『私記・一軍人六十年の哀歓』において触れられている。墓所は青山霊園(1イ10-10)。
栄典
[編集]- 位階
- 1885年(明治18年)9月16日 - 正八位[3]
- 1907年(明治40年)12月27日 - 従五位[4]
- 1911年(明治44年)10月20日 - 正五位[5]
- 1916年(大正5年)9月11日 - 従四位[6]
- 1918年(大正7年)10月10日 - 正四位[7]
- 1920年(大正9年)2月28日 - 従三位[8]
- 勲章等
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 今村均『私記・一軍人六十年の哀歓』芙蓉書房出版、1970年。