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新井亀太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新井 亀太郎
新井 亀太郎
生誕 1875年12月8日
日本の旗 日本 群馬県桐生市
死没 1932年11月7日(56歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1895 - 1931
最終階級 陸軍中将
墓所 多磨霊園
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新井 亀太郎(あらい かめたろう、1875年明治8年〉12月8日 - 1932年昭和7年〉11月7日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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群馬県出身。新井沢次郎の四男として生まれる。群馬県境野小学校、同山田第一高等小学校、錦城商業学校を経て、1896年明治29年)11月陸軍士官学校(8期)を卒業。翌年6月、陸軍歩兵少尉に任官される。歩兵第16、9、35の各連隊付を経て、1903年明治36年)陸軍大学校に入学。

日露戦争の勃発に伴い修学を中退、原隊復帰、第一回旅順攻撃歩兵第35連隊第12中隊長)、第二回攻撃(歩兵第6旅団副官代理)、第三回攻撃及び奉天の会戦(同副官)に参加。 

1907年陸軍大学校(第19期)を卒業。第2師団第9師団第11師団の参謀、留守第12師団第6師団の参謀長、浦監派遣軍第4兵站司令官、台湾歩兵第1連隊長などを歴任。1922年8月(大正11年)陸軍少将に進級し、歩兵第17旅団長、陸軍戸山学校長などを経て、1927年7月陸軍中将に進級。支那駐屯軍司令官の後、第7師団長となる。1931年8月(昭和6年)予備役編入。

1932年昭和7年)11月、群馬県立伊勢崎高等女学校(現・群馬県立伊勢崎清明高等学校)にて講演中に倒れ、死去(56歳)。

年譜

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栄典

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参考文献

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  • 石井唯一『新井亀太郎小伝』帝国在郷軍人会桐生市境野分会、1934年(国立国会図書館蔵書)
  • 桐生タイムズ「陸軍中将・新井亀太郎」 1991年11月7日付
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

脚注

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  1. ^ 『官報』第4289号「叙任及辞令」1897年10月16日。
  2. ^ 『官報』第4948号「叙任及辞令」1899年12月27日。
  3. ^ 『官報』第3035号「叙任及辞令」1922年9月12日。