歩兵第15連隊
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歩兵第15連隊 | |
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歩兵第十五聯隊趾(高崎城址) | |
創設 | 1884年(明治17年)5月 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 日本 - 満州 - パラオ |
編成地 | 高崎 |
通称号/略称 | 照7757 |
補充担任 | 高崎連隊区 - 前橋連隊区 |
上級単位 | 東京鎮台 - 第1師団 - 第14師団 |
最終位置 | パラオ |
戦歴 | 日清 - 日露 - シベリア出兵 - 第一次上海事変 - 満洲事変 - 日中戦争 - 太平洋戦争 |
歩兵第15連隊(ほへいだい15れんたい、歩兵第十五聯隊)は、大日本帝国陸軍の歩兵連隊のひとつ。西南戦争後の軍備拡張によって、群馬県高崎市にて創設された。日清・日露戦争から、満洲・上海両事変、日中戦争、太平洋戦争とほぼすべての戦役に参加。終戦時はパラオにあった。
沿革
[編集]- 1884年(明治17年) - 編成開始[1]。
- 1885年(明治18年)7月27日 - 軍旗拝受、東京鎮台第1旅団隷下。
- 1887年(明治20年) - 編成完了[1]。
- 1888年(明治21年))5月 - 東京鎮台を廃し、第1師団を創設。その隷下に入る。
- 1894年(明治27年) - 日清戦争に従軍
- 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍、第2軍隷下として金州城、南山攻略に参加。その後乃木第3軍に移り、旅順攻囲戦に参加
- 1907年(明治40年)9月 - 第14師団歩兵第28旅団(宇都宮)の隷下に入る
- 1919年(大正8年)4月 - シベリア出兵に従軍
- 1927年(昭和2年)4月 - 関東軍隷下となり、満洲の旅順に駐留
- 1928年(昭和3年)5月6日 - 山東省青島市に進出、済南、奉天省奉天などを転戦
- 1929年(昭和4年)4月 - 帰還
- 1932年(昭和7年)3月 - 第一次上海事変勃発とともに上海に出征
- 5月 - 満洲事変勃発とともに北満に転戦
- 1934年(昭和9年)
- 1935年(昭和10年)9月26日 - 集中豪雨に見舞われた高崎市内で救援活動中、兵士7人が濁流に飲まれ全員死亡・行方不明[3]。
- 1937年(昭和12年)8月 - 日中戦争勃発とともに大陸に出征、永定河渡河作戦に参加。その後、保定、彰徳、山西省、徐州を転戦
- 1939年(昭和14年)12月 - 高崎に復員
- 1940年(昭和15年)8月 - 師団とともに満洲移駐となり、チチハルに駐屯
- 1944年(昭和19年)2月 - 南方派遣令
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 古川氏潔 | 1885.5.26 - 1885.10.10 | 中佐 |
2 | 河野通好 | 1886.6.17 - 1896.9.25 | 中佐、1891.9.大佐 |
3 | 飯田俊助 | 1896.9.25 - | |
4 | 太田貞固 | 1898.10.1 - 1900.10.31 | 中佐、1900.4.大佐 |
5 | 井口五郎 | 1900.10.31 - 1903.9.23 | 中佐、1902.11.大佐 |
6 | 千田貞幹 | 1903.9.23 - | 中佐、1905.3.大佐 |
7 | 戸板百十彦 | 1904.12.12 - | 中佐 |
8 | 五十君弘太郎 | 1905.3.17 - 1906.3.9 | 中佐、戦傷 |
9 | 渡辺湊 | 1906.3.14 - 1911.9.6 | 中佐、1907.11.大佐 |
10 | 米津逸三 | 1911.9.6 - 1912.9.28 | |
11 | 大野豊四 | 1912.9.28 - 1913.8.22 | |
12 | 古木秀太郎 | 1913.8.22 - | |
13 | 円藤作蔵 | 1918.7.24 - | |
14 | 中村定吉 | 1920.12.1 - | |
15 | 井上璞 | 1922.8.15 - | |
16 | 山口十八 | 1923.8.6 - | |
17 | 内藤貞一 | 1924.8.20 - | |
18 | 藤田進 | 1928.3.8 - | |
19 | 谷実夫 | 1929.8.1 - | |
20 | 高橋勘二 | 1931.8.1 - | |
21 | 甘粕重太郎 | 1932.5.3 - | |
22 | 役山久義 | 1933.12.20 - | |
23 | 中井良太郎 | 1935.8.1[4] - | |
24 | 森田範正 | 1936.8.1 - | |
25 | 井上靖 | 1938.3.1 - | |
26 | 植松操 | 1939.3.9 - | |
27 | 高山亀夫 | 1939.6.23 - | |
末 | 福井義介 | 1943.6.1 | 終戦時 |
脚注
[編集]- ^ a b 遠藤芳信「日露戦争前における戦時編制と陸軍動員計画思想 (9)」人文科学・社会科学編、第59巻1号、2008年8月、104頁。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、75頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 「利根川が大氾濫、関東平野に濁流」『東京朝日新聞』1940年(昭和10年)9月27日夕刊(昭和ニュース編纂委員会編『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p.212 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 『官報』第2575号、昭和10年8月2日。
参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』(新人物往来社、1990年)
- 原剛『明治期国土防衛史』(錦正社、2002年)
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。